サイドウェイ 

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これはまた、なかなか微妙な感慨を起こさせる一本だった。設定だけとれば、フィクションらしいフィクションだと思う。カリフォルニアのワイン産地、サンタ・バーバラ郊外を舞台に、独身中年のふたり旅。一人はもてない小説家志望、もう一人は売れない俳優で、お金持ちとの結婚をひかえた天真爛漫なナンパ男。都合よくいい女ふたり連れとめぐり合って、ワインを小道具に物語はすすむ。背景は美しいワインヤードと小洒落たジャズ、それなりにキャッチーだ。適度に笑いをちりばめたコメディテイストで気軽にも見られる。実在ワイナリーのロケはあるし、ビンテージワインがところどころで開けられたり、主人公マイルス(ポール・ジアマッティ)が愛するピノ・ノワールや憎むメルローのうんちくを語ったり、味について論評しあったり、というワイン好きにフックする部分もちゃんとある。
しかしいわゆる「大人のファンタジー」かというと、そうでもない。主人公たちはそれまでの人生設計がほぼ行き詰まったことに気がつき、あるいは最後の可能性に賭けている。旅はそのリセットの儀式なのだが、だからといってワイナリーでの出会いをきっかけに、行き詰まった日常から脱走できるかというと、そんなこともない。さえなかった男がハリウッド的に突然ヒロイックになるかというと、もちろんそれもない。旅に対して僕たちが抱くぼんやりした期待(予期せぬ出会いが人生の転機に…とか)が叶えられることはなくて、日程の変更すらもなく、予定どおり何も変わらない日常に帰っていく。というより、それぞれにちょっとずつ余計に打ちひしがれて帰っていく。その身も蓋もなさに変なリアリティがあるのだ。

監督もいうとおり、この物語、ワインは小道具であり背景でありメタファーに過ぎない。それをとても分かりやすくヒロイン、マヤ(ヴァージニア・マドセン)が説明してくれる。見た人だれもの印象に残るように、じっくりと語る。生まれてから少しずつ熟成して複雑になり、やがてそのピークを越えるワイン。しかし生きている以上は毎日違う表情を見せる。栓をオープンすれば・・・マイルスはそれをじっと聞き、やがてそれが誘いであることに気がつき、怖気づく。ワインで例えれば彼はブショネだ。栓を開けもしないうち、いつの間にか劣化していたのだ。彼は自分自身を彼女にさしだせず、そのかわり自分の売れない小説を彼女に説明して、原稿を読ませる。実験的小説でないかぎりはどう聞いても失敗作だ。
旅から帰るともっと彼を打ちのめすできごとが起こり、彼は大事に保管していたビンテージワイン(それは人生のちょっとした灯火みたいなものだったのだ)をファストフードに持って行き、紙コップで飲み下す。なんとも苦々しい、印象に残るシーンだ。でもひょっとすると、それは彼にとって「ワイン」に人生やプライドを仮託することにケリをつけて、人間そのものに向かおうという儀式だったのかもしれない。ラスト、彼は彼なりに大事なものに向かって動き出す。そこはハリウッドメジャーではありえない、観客に解釈をまかすオープンなエンディングになっている。

旅の途中で、女の子と遊ぶのを優先した相方のジャックに放置されたマイルスが、モーテルでぐだぐだ過ごした後一人でぼんやり飯を食べに行き、スーパーでエロ本を買ってモーテルに戻る1日がある。このシーンに妙に共感してしまった。一人旅(特に海外)した人ならわかると思うけど、途中にかならずこんな感じの不毛なひとときがあるのだ。

製作は20世紀Fox。メジャー資本だけど、そのインディー部門の製作だ。監督によればキャスティングが地味なので資金がなかなか集まらなかったけれど、編集のファイナル・カットも、配役のオーディションも監督の権限でできたという。たしかにポール・ジアマッティもジャック役のトーマス・ヘイデン・チャーチも名前で客がよべるタイプじゃないだろう。親友役はジョージ・クルーニーがやりたがったけれど、監督は「売れない俳優役にクルーニーじゃ…」とことわったそうだ。
結論。『善兵衛垂涎のスーパー・ビンテージとはいえないが、軽い味わいながらタンニンの渋みがきいた佳品!』