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古代ギリシャ、スパルタ王国の王と勇猛な戦士が巨大ペルシャ帝国軍と戦う物語。原作は『ダークナイト』『シン・シティ』でおなじみフランク・ミラーグラフィックノベルザック・スナイダーが映画化。 ビジュアルは、ダイナミックな視界の動きというよりも、動くグラフィックノベルとしての格好良さを追求したものだ。 殺陣は分かりやすくスローで見せ、ところどころ実際のスピードに戻してスピード感を残す。動体視力がなくても役者のビシィッとキメたポーズを堪能できる。 全編ダークな画面の処理、フリーク化した兵士や、恐竜化したサイ、巨人化した敵王クセルクセス大王など、ビジュアルは申し分ない。ストーリーはここではどうでもいいので、なぜ巨大国の王がすぐに前線にあらわれたり余裕をなくしたりするのか、というツッコミは無意味である。
唯一最大の欠点は役者だ。こうして見ると、トップアクターがあれだけのギャラをもらう理由もなんとなくわかる。でもそういう問題でもないのかなあ。とにかく、筋肉量は十分なのにどこか軽い。それぞれの役者をデジタル修正するとコストがかかるので、全員鍛えさせたという話だが、それはともかく、喜んで死地に向かう生まれついての戦士のすごみがどこかたりない。(ちなみに映画はプロローグで誇張してスパルタ人の鍛え方を描いているが、わりと史実だったようだ)。
主役のスパルタ王にしてもそうだ。まして副将は勇猛な荒くれ男という設定らしいのだが、どこから見てもたけだけしい武士の顔じゃない。フランス人めいた顔で、どちらかというと『風の谷のナウシカ』のクロトワに似ている。 唯一、特殊メイクをした敵王クセルクセスはいい。あれって不思議ですよね。予算がなくても、素人を使っても「本物」感がある映像にもなるけれど、一応プロの役者を揃えたのに、キャストにどうにもぬぐえないB級感がただよってしまう。こんな時なにが起こってるんだろう。かりにキャスティングは同じでも、もっと獰猛な、特に脇役は凄みを強調した人間味のないメイクでよかったんじゃないか。
時代考証は「イメージ」できればいいというレベル。古代のアジアと現代のアジア(東アジア)が混同されている珍妙さから始まって、ビジュアル的インパクト重視の設定なのであえて突っ込むまでもなし。しかし、スパルタ人にゲルマン系役者を使って、ほんらいコーカソイドであるペルシア人を黒人に演じさせているのはかなりヘンだ。そしてスパルタ人たちが独裁的な中東の国の圧制に「自由の守護者」として戦うのだ。当時のスパルタは、市民階級は市民の議会、長老の議会があって、王が勝手にふるまえないような抑制のシステムがあったり、土地を均等に所有する制度になってはいた。だけど自由の国というのは、ギリシャ特有の「市民」にとっての話。彼らが征服した他国の民は当然のように奴隷になっていた。・・・というような、むずかしいことを考えだすとこの映画は「どうなの?」という話になってしまう。その辺は自分の中のレベル設定を『ベクシル』と同じあたりに設定したほうが楽しめる。
結論。『善兵衛の観客がシネコンで退屈しない2時間をすごす、今風ビジュアルの映画!』