椿三十郎 


参考
黒澤明、1962年の作品。
ストーリーの概略は、ある藩のお家騒動。 ある勢力の不正をただそうとする老城代と彼を支持する若侍のグループがいる。 不正をはたらくワルの勢力には3人のひとくせありそうな初老の侍と、部下の切れ者がいる。そこへ正体不明の浪人(三船敏郎)がやってきて・・・というお話。
この話、あらゆる意味で分かりやすい。 まず設定が分かりやすい。単純な善悪二手の物語で、主人公の活躍でシンプルに悪が倒される。 脚本もわかりやすい。台詞の中に説明的なものがたびたび出てきて、画面で見逃しても状況がすぐに分かる。 三船敏郎の行動も、ある理由でいちいち彼が説明するハメになるので誤解なく頭に入る。 そして台詞もわかりやすい。完全に現代語でしゃべっているのだ。黒澤は時代劇でも比較的現代語に近い言葉が多いけれど、それにしても「あれっ?」と気がつくくらいだから相当だ。 リメイク版(森田芳光版)が脚本をそのまま使えたのも、この口調があったからだろう。 画面も分かりやすい。夜のシーンは妙にローキー(暗い画面)で見づらいところもあるけれど、室内シーンは人物の動きも顔も見分けやすい。 というのも全室天井に蛍光灯がついているような、平板な上からの照明なのだ。これは正直好きになれない。空間の陰影が全くなく、平板そのもので、TVの時代劇ふうに見える。
物語のトーンは全体に明朗で、ユーモラスで、ギャグシーンのBGMにはお調子者風のジャズっぽいサウンドが入ったりする。 今見るから、それなりに重厚に見えるのだが、基本的には軽い。この軽さはなんだろう? どことなく東宝の企画物っぽい香りすらするのだ。まず、主人公三船敏郎はお約束として、彼が味方する若侍が加山雄三田中邦衛平田昭彦たちだ。 黒澤があえて彼らを使いたがったとはちょっと思えない(あまり上手くないし)。 加山雄三東宝に入社したのが1960年、東宝で『若大将』シリーズが始まったのが61年。 若手俳優を大物監督の作品で鍛えて箔をつけようとしたのかもしれない。 
黒澤は、山本周五郎の原作をもとに、もっとほわっとした地味なストーリーを考えていたそうだけれど、前年に大成功した『用心棒』の続編的なものを会社に要望されて、同じ主人公を使ったストーリーに変えた。東宝としては、当然若大将ファンの入りも期待する。いつもの時代劇ファンより若くてミーハーな客だ。黒澤はこの作品に関してはそういった企画意図にちゃんと合わせたように見える。時代劇を見慣れていない客にもちゃんと分かる物語と語り口。台詞も違和感がない(あるいは若手俳優が時代劇の台詞をうまくしゃべれなかったのかもしれない)。 そして加山雄三のりりしい若侍姿はよーく見えなければならない。その辺にもカットや見やすさ優先のライティングで応えている。
しかし監督はそれほど親切でもない。若大将たちは「われら9人」とことあるごとに団結を口にするのだが、じっさい9人でワンセット、言外にひとりでは使い物にならないといわんばかりの描き方だ。基本的に未熟なアホ扱いで、ひとりひとりの見せ場はほとんどないし、撮り方もそうだ。9人の役者は背格好があまり変わらないし、着物も遠目には違いがわからない。髪型も一緒。それに9人がいつも必要以上に接近して位置していて、多くのシーンではみんな同じ方向を向いている。そして動作も(歩く方向、動き出しなど)だいたい同じタイミングで同じ動作をする。どこから見ても鳥のひなそのものなのだ。
これに対比して、ひとり遠目にも違いがわかる身なり、体型(やけに顔がでかい)身のこなしの三船敏郎が彼らの浅はかな状況判断をたしなめて、ほとんどの問題を解決してしまう。結局一方的に三船が引き立っている。それに匹敵するのは敵の切れ者仲代達矢くらい。 そんな三船に唯一困った顔をさせるのは、彼らに助け出された城代の奥方だ。彼女の台詞、「あなたは抜き身の刀のよう、でも本当にいい刀は鞘に収まっているもの」という台詞、いろんなところでアレンジされているけれど、これが原型なんだろうか。彼女と娘はいきりたった男たちのシーンにすっと息抜きと微妙な笑いを提供する役どころだ。
斬り合いの二つのシーンは有名。一つは三船が1人で21人を斬るシーン。このシーンはわずか3カットで撮られ、三船はかなり長くて複雑な殺陣を、単なる所作ではなくて実際の格闘としてこなしている。全員斬ったあとにぜいぜい言っているのは、ほんとうに息が上がっているんだろう。それにラスト、仲代達矢との一騎討ち。このシーンもワンカットで台詞のやりとりから斬り合いまで行く。調子の良かったそこまでのお話と突然空気が変わる、緊張感がある荒々しい場面だ。
物語の後半ではタイトル通り椿の花が大きな意味を持つようになる。花ごとぼてっと落ちる椿は、頭を切られるようで不吉だともいわれる花。無数の花が庭園の流れを埋め尽くすシーンは黒澤らしいケレン味のあるビジュアルだ。 ちょっとおかしかったのが、その前に、一輪の椿が流れを流れてくるのに母娘が気がつくシーンがある。 そこでの椿の流れるスピードが異常なのだ。普通の日本庭園の流れのスピードと明らかに合わない。見えない糸でもつけて引っ張っているようだ。黒澤がなにを思ってこのスピード感を演出したのか・・・どこかで知りたい。

結論。『善兵衛の観客が取っつきやすいポップ時代劇!』