精神

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久しぶりのロードショー。想田監督の「観察映画」第二弾・・・・・正直、疲れた。 ちょっと時間があいて、ささやかな娯楽をもとめて、ふとしたはずみにこの映画に入った観客が万一いたとしたら、不幸である。  まあほとんどいないと思うが。 しかしこの疲れ。 テーマ自体、軽い気持でみるようなものじゃないけれど、それにプラスして、観客に予備知識のない状態で生の映像をぶつけて、実体験に近い「解釈」をさせるという映画だからね。
ナレーション・テロップ・音楽はゼロ。編集も気持ちよく切るようなことはせず、冗長になってもひとつの出来事がそのまま連続したシーンとなる。劇映画の長回しとちがって、実際の会話や動作の間はそれほど気持ちよくもない。 照明機材を使わない画面は暗いし、ズームが多いハンディカメラは不安定に動いて、映されている人は平気でカメラの前を横切る。
監督は取材対象となる精神科の診療所にほとんどカメラ1台の態勢で行き、その場で初対面の人に撮影OKか聞き、OKといわれるとすぐにカメラを回し始めて撮ったという。その時点では患者かスタッフか関係者かわからない。そしてその差は漠然と思っているような分かりやすいものでもないのだ。たとえば「制服」という記号もこの病院にはない。観客は、監督が取材対象を理解していくプロセスを追体験する。実際に赤の他人を知る時みたいにね。
前回の『選挙』といい、今回の『精神』といい、題材は「知っているようで、ほとんどの人が実態を見たことがない」世界だ。だから観客にも予断のない状態でまず見てもらい、意味づけは彼らに任せる、ある意味で「素材」を提供する映画なのだ。対象がある種のタブーとなっているとしたら、とにかくそれを見せることには充分意味がある。なぜこのテーマを「見せたい」のかも僕なりに分かったつもりだ。
ただ、個人的体験からいえば、この映画は完全な「素」で見ても充分には伝わらない。メディアミックスの一素材として見るべきものだ。だから、「予断」ができてしまうとしてもウェブサイトや関連書籍や周辺情報で予習してから見て、ぜんぜんOKだと思う。この映画、僕の周辺では、カウンセラーや、取材対象の病院が一部そうなっているような、ある種のフリースペースを運営しているひとたちなど、ある程度この世界が分かっているひとの間ですごく評価が高い。それは関心の領域ということももちろんあるだろう。それにプラスして、この映画を理解するための基本情報のレベルが一般の観客よりも高いということがある。
もちろん「素」で見るという体験もアリだろう。なんだか現象学的アプローチみたいだが、とにかく予断ゼロでストレートに目の前のものを受け止める体験。それなりの意味はある。スリリングでもある。エンドロールが出てもなんだか分からない部分が残ったまま観客は放り出される。彼の映画手法を体感する意味ではそっちのほうが面白いかもしれない。 ただ映画体験よりもその対象に興味・関心がある人たちだったら、周辺情報が多少でも頭に入っていた方が納得できるはずだ。じっさいにはこの映画の観客は「素」以上に、どこで何が撮られているのか分からない状態から理解をはじめなければならないからだ。
とにかく映画は説明しない。説明的な映像も少ない。 でも、一歩映画を離れると、監督はとても饒舌に作り方の意図や取材の実態を説明する。たとえばこれ。聞くとわかるが監督はとてもクレバーでコミュニケーション能力の高い人だ。 映像作家にとって「自分オリジナルの手法」を確立できることはそうとう大きいことだろう。彼は自分のキャリアも考えながら、「想田=観察映画」というモノを打ち立てるため、映画単体では説明しきれないのは承知で、そこは周辺メディアで丁寧に説明しながら、あえてこういうミニマリズム的な手法で徹底しているのかな、とも思う。 彼のそんなコンセプチュアルな姿勢は、「芸術起業論」で村上隆が言っていることを思い出させる。 
それにしても、よく対象者たちからこういう率直なことばを引き出せたなあ。じっさいは8-9割の相手には断られたというけれど、写っているかれらは、あまり緊張を感じさせない表情で、率直に、それに能弁に語る。これは対象者の性格だけのはなしじゃないだろう。だから見ている間も、カメラの手前の監督はどんな雰囲気の人なんだろう、とヘンなところが気になった。 
彼らの言葉を聞き、見つづける体験は、もちろんそれなりにヘビーだ。自分の精神的なタフさ、安定感に絶対の自信があるひとならともかく、自分だって不眠になって心療内科に行ったこともあるし、ストレスがつづけば「欝っぽい、ってこういうことか?」と感じることもある。彼らの言葉をいつの間にか自分に置きかえて見ながらちょっとブルーになっているときもあった。インタビューに答える彼らには、病気の自覚があり、それに対する世間の差別感情もよく分かり(そこの判断力はもちろん一般と同等なのだから)、だからそれが行動の足かせになってしまうこともあり、そして自分の高齢化と保護者の死、経済的な困窮への恐怖があり・・・
すくなくともこの映画は、僕たちに彼らのすがたを見て、声を聞き、自分を振り返る「機会」をあたえる。 そしてそれは当然に疲れることなのだ。

結論。『善兵衛無条件におすすめとは言えず。ただ唯一無二であることは確実!』