ミスト


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主人公は絵描きという設定なんだけど、ジャック・バウアー風というか、アーチストっぽくない。そもそも彼が絵描きである必然性がまったくないんだけどね、映画では。 舞台は湖畔の静かな町。暴風の翌日、突然得体のしれない霧に覆われて、たまたまスーパーに買い物に来ていた客たちは身動きが取れなくなり、やがて・・・というスティーブン・キング原作の1本。

ひとついえることはこの作品、キング作品らしく、ベタさ、チープさと妙な根源性がいりまじった1本だということだ。
のっけからどう見ても不穏な雰囲気のなかで、主人公と息子はスーパーに出かける。あっというまにスーパーの周囲は危険な霧に包まれて、人々が身動きの取れない状態になり、そしてこれまたわりとすぐに物語の方向性が見える。霧の中から絵に描いたような触手・節足動物系クリーチャーがあらわれるのだ。クリーチャーの造形ははっきりいえばあまりレベルが高くない。この時点で期待値を低めにセッティングしなおし、B級への心の準備ができる。 期待どおり、ポイントポイントでクリーチャーとの戦いがくりひろげられ、気持ち悪さを記号化したみたいなクリーチャーたちに、圧倒的に劣勢な人間たちがグロテスクに殺されていく。このあたりのテイストはスターシップ・トゥルーパーズとほとんど変わらない。基本的には昆虫恐怖系である。
しかしそこからさらに物語は違う方向へ転換する。もっと不気味な存在として中の人々が妙な人間性をあらわにし始めるのだ。まずは地元出身ぽい頑迷そうなオヤジ(労働者系)が文化人である主人公に反感をむき出しにして、《田舎+労働者=マッチョ VS 都会移住組+知的階級=ヘタレ》 図式を露骨に表現する。いろいろあってそいつらは一旦味方になるのだが、その後、キリスト教原理主義とディープエコロジーがまざったような人間卑小主義の狂信的なおばさんの存在が徐々に大きくなっていく。これに対して地元の可愛いレジ係、元教師、リベラルな老人、美人妻、最もヘタレに見えて実は銃のプロという極端なキャラなどが主人公の味方として現れる。しかし観客が少しでも期待するようなメンバーは、順にクリーチャーの餌食になるし、嫌われ役の力のこもった演技がなんだか必要以上に映画全体に効いていて、観客は狂信的なおばさんたちへの苛立ちで限界寸前になる。
やがておばさんは精神的リーダーへと変質し、《主人公周りの少数の正常者 vs 恐怖で宗教に支配された多数派の狂信者グループ》 という図式に変わっていってしまう。主人公は、主人公という任務がある以上じっとしているわけにはいかない。だから座して死を待つよりは、仲間を組織して行動を起す。このあたりは、どっちかというと個人主義的な絵描きのキャラじゃない。元警官に設定しておくべきだったね。しかし彼が動けば動くほど仲間は犠牲になり、その結果・・・・最後の救いのなさはあまりにも見事。古きよき(今でも作られている)アメリカ映画で正義とされていた行動規範がなんともいえない形でくつがえされる。それがベタなエンターティメント風のパッケージの中で現れるところにインパクトがある。

パニックの原因である霧とクリーチャーは、やがて軍部の秘密実験の失敗のせいだということが分かる。途中で軍への反感が気味の悪いシーンとなってでてくる。コンサバティブなアメリカンヒーロー系ではあまりないシーンだろう。ラストシーンは非常にオチらしいオチで、画面もぴったりはまっている。望遠レンズを使って主人公を背景の中に埋没させる構図で、パニック系の映画の象徴的なシーンとしてものすごくどこかで見たことがあるような気がする。『野生の証明』?(古)

結論。『善兵衛納得だが1回みればOK!』