コックと泥棒、その妻と愛人

89年の映画。ストーリーはこのへんを見てね。登場人物はタイトルどおり。この文、ネタバレありです。
ひとついえることはこの映画、僕には80年代カルチャーの空気が強烈にただよう一本だ。どのへんに? うーん・・・ギミック満載な感じにかなあ。あとはクラシックなイメージの扱い方に、かもしれない。主演のヘレン・ミレンがなんとなくヘルムート・ニュートンを思い出させるからかもしれない。ちなみに衣装はJ.P.ゴルチエ
グリーナウェイのほかの作品とおなじく寓話的な物語で、ファーストシーンでこれは舞台の上の出来事だよ、といっている。全編をとおして舞台上のような画面で、舞台はレストランの搬入口・厨房・客席の断面になっている。俳優は画面の右へ左へ移動しながら芝居を続け、カメラも決まった方向から写し取り、水平に移動する。画面には奥行きがなく、常に絵画的だ。
絵画といえば、レストランに掛かっている絵はフランス・ハルスの「聖ゲオルギウス市警備隊の士官たちの晩餐」という作品だ。フランス・ハルスはレンブラントと同じ時代のオランダの肖像画家で、彼を尊敬していたゴッホにいわせると「27色の黒を使い分けた」という、黒の達人だった。盗賊たちの衣装はこの絵の仕官たちの格好がモチーフだ。
17世紀のオランダは、はじめて市民階級が自分たちのためのアートを持った社会だ。王侯貴族や教会ではなく、ビジネスでお金を稼いだブルジョアがアーチストを雇って注文通りに絵を描かせる・・・つまり映画の中の盗賊とコックの関係ということだ。盗賊はゴージャスなフレンチレストランのオーナーとなるために高名なコックを雇い入れる。もちろん気位の高いアーチストは腹の中でブルジョアたちをバカにするだろう。このコックも同じ。しかも彼はイギリス人に雇われるフランス人だ。教養もマナーも知らない、金だけはある盗賊を心から軽蔑している。盗賊が彼という文化的アクセサリーを必要としていることがわかっているからだ。店の名前はLe Hollandais(つまりオランダ)。

この映画、記号的な色の使い方で有名だ。画面左側にある搬入口と駐車場は青で統一。夜の明かりの色だ。しかしここは最も暴力的で汚濁にまみれた場所でもある。野良犬がうろうろし、食材を積んだ車は放置されて強烈な腐敗臭をただよわせ、盗賊の癇に障った男が制裁される。中央の厨房は緑。この奇妙に中世的な厨房は、食の生産地であると同時にセックスの舞台でもある。盗賊の妻と愛人が、コックの手引きでひと時の愛にふけるのが食材庫だからだ。セックスを彩る食材は、その日によって肉だったり穀類だったりと変わる。画面右側にある客席は赤。ここのテーマは虚飾だろうか。 気取った客たちの真中で、主である盗賊とその子分たちは、お洒落な格好をしながら、でも上品ぶることさえせずに、傍若無人に毎晩のディナーにふける。そして男と女が出会うトイレ。ここのテーマカラーは白だ。出演者たちは部屋を移動すると早変わりのようにその部屋のテーマカラーと同じ色の服に変わる。ここで面白いのは空間のテーマと色のイメージがかならずしも合っていないということだ。もちろんこれはわざとだろう。レストラン以外に一箇所だけ舞台がある。愛人の城である本屋だ(あとは一瞬病院もある)。ここもシンメトリーな舞台的空間だが、おちついたブラウンと黒が基調になっている。

いつも本を読みながら食事する、教養の象徴である愛人。洗練されているが、まわりに下品な盗賊しかおらずうんざりしている妻。そしてその逢瀬をたすける、ラテン文化の象徴であるコック。金で文化を支配しようとした盗賊は文化人たちに裏切られる。激怒した盗賊は愛人の店を見つけだし、彼の記号である書物を使って復讐する。しかし文化を殺そうとしたブルジョアは、最後はふたたび文化人たちによって復讐される。かれらは盗賊の想像を超えたグロテスクなイメージを作りあげて復讐したのだ。
この構図、ふつうの感覚から一回ひねっている。通俗的な物語でいけば、文化人はどちらかといえば草食系で、悪者が性的パワーを全開にして文化人の女性を奪っていくというステロタイプがある。ところがこの物語では、下品で暴力的な盗賊はセックスができない体質だったのだ。逆に文化人たちは食材にまみれ、アニマルとなって性を心ゆくまで楽しんで見せつける。そしてラストシーンもまた・・・

結論。「善兵衛のグリーナウェイ作品中、一押し!」