ファストフード・ネーション


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ある大手ファストフードチェーンをめぐっておこる色々な出来事。 そこで動く人々のすがたを描くと、この巨大な産業の見せたくない部分や見えない部分が見えてきてしまう、という話。
アメリカのジャーナリスト、エリック・シュローサーのルポルタージュ、「ファーストフードが世界を食べつくす」amazon:ファーストフードが世界を食べつくすが原作。 原作者は映画「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」にはプロデューサーとして関わっている。監督のリチャード・リンクレイターの作品は、「ウェイキング・ライフ」というかわったアニメーションを見たことがある。 実写で撮った映像を色々な作家がなんだかぐにゃぐにゃしたアニメに変換し、主人公と哲学的な会話をつづけるという、正直途中で飽きた映画だった。
この作品、一ついえることは、それなりに深刻なテーマだが、見やすい映画に(それこそ硬い牛のスジ肉をやわらかいパティにするように)ちゃんと加工してあるということだ。原作はルポだが、映画はドラマ。いわゆる群像劇のスタイルだ。 主な視点は3つある。
ひとつはハンバーガーチェーンのマーケティング部長。彼は本社で会議に出ていたが、大腸菌混入の情報をさぐるため中西部の工場や牧場に調査に派遣される。 彼がリポーターのような役になって、牧場主や食肉工場の元幹部の本音を聞きだし、肉に本物らしいフレーバーをつける研究所などを紹介する。
もうひとつはメキシコからスマグラーの手を借りて不法に国境を越える家族。 なんとか中西部の町にたどり着くと先に着いていた仲間たちと同じ、食肉工場に就職する。 この工場こそ、そのハンバーガーチェーンのパティを作っているところだ。 彼ら、彼女らの目を借りて、食肉工場が安い労働力を消費しながら(けっこうな危険にもさらしながら)日々大量の肉を処理している実態が写される。
もうひとつ、そのチェーンの店でバイトする女の子。 彼女はいつのまにか頭でっかちの環境活動家グループに参加して、最後にちょっとしたテロを敢行する。 よく考えると彼女をめぐるエピソードではハンバーガーチェーンのたいした内情があばかれていなかったような気がする。 
部長のエピソードは、さっきも言ったようにルポルタージュの内容をドラマ仕立てで紹介するパート。彼なりの家族の問題や悩みもあるし、あちこち飛び回って情報をえるものの、結局大企業の論理にたてつくことはできず、無力感を観客と共有する役目だ。 
メキシコ移民のエピソードは、悲劇を強調して感情をかき立てるパート。家族が離散したり、生きていくために夫婦が裏切りあったり、なかまに悲劇的な事故があったり、アメリカ的な享楽に染まっていってしまう家族がいたり・・・・・安い労働力として吸収される移民である彼らが、アメリカの産業で、一番悲惨な部分を受け持たざるを得ない人たちだからだ。
女の子のエピソードは、どっちかというと若者の観客にも共感してもらうためのパートかもしれない。女の子が悩み、妙に格好いい伯父さん(イーサン・ホーク)と語り合い、もやしっ子的な環境活動家グループにはアヴリル・ラヴィーンのようなありえない美少女が参加している。当人も充分にアイドル顔だ。
正直に言うと、こういう具合に、色々とドラマを盛り込んだことで、ファストフード業界への突っ込み、食肉業界への突っ込みはすこしサイドストーリーっぽくなってしまった感がある。メキシコ家族の逆境にめげずがんばる姿の方が記憶に残りやすいしね。 それでも原作を読んでいなければじゅうぶんインパクトがあるのかな? 原作者が脚本のアイディアも持っていたみたいだから、彼としてもまず、何の関心もない人に見てびっくりしてもらい、興味があれば原作本で狭く深く入り込んで欲しいということなんだろうか。
製作にはジェレミー・トーマスや、なぜかマルコム・マクラーレンも関わっている。ジェレミー・トーマスはハリウッド的でない所で映画を作れるプロデューサーで、ベルトルッチの『シェルタリング・スカイ』やクローネンバーグの『裸のランチ』、ギリアムの『ローズ・イン・タイドランド』などを製作している。マルコム・マクラーレンは、まあ輝いていたのは20年前だけど、知らない人のために説明するとセックス・ピストルズを売り出した人だ。

結論。『原作にはあった善兵衛No1のハンバーガーチェーンの名を出していればインパクトは10倍に!』