フィッツカラルド

映画の舞台、イキトスの映画紹介ページ

映画史上には何人もの「バカ一代」タイプの監督、「バカ一代」ものの映画がある。F・コッポラもかなり「バカ一代」指数が高い監督といえるだろう。しかしこの「フィッツカラルド」はその指数の高さにおいて映画史上にさん然と輝く、真のバカ一代映画である。
舞台は19世紀末か20世紀初頭。アマゾン上流のペルー領内イキトスという町だ。ちなみにこの町、河口から3000km以上さかのぼるのに、海抜106mしかない。アマゾンって本当にフラットなんだなあ。水上交通のハイウェイになるのも無理ないね。 主人公は成功しない実業家で、この町にオペラ座を建設するのが夢だ。そのためにまず金を稼ぐ必要がある。そこでゴム農園を開拓しようと、船を買い、上流の未開の地を目指す。土地を登録して、9ヶ月以内にそこで事業を始めれば、広大な土地が自分のものになる制度なのだ。
巨大な川船は色々な思惑のひとびとを乗せて、密林の間をさかのぼる。 やがて先住民族のエリアにたどりつき、彼らに襲撃されると思うと、不思議な邂逅がある。 やがて船は・・・というストーリー。 150分以上の大作だが、ストーリーは明快で編集のリズムもよく、後半はスペクタクルの連続なので長さを感じない。変人伝説で知られる監督B・ヘルツォークだが、意外にオーソドックスなエンターティメントの要素をそなえている。

ひとついえることは、この映画、あらゆる意味で現代の映画ではないということだ。制作は1982年、舞台は100年前だが、何十年前の映画だって、時代劇だって、現代性を持っている作品はある。 しかし、B・ヘルツォークはほとんど美術史でいうドイツ・ロマン主義の申し子だ。 その世界で自然は崇高な美であり、脅威でもあり、神の試練のようなものであり、人間は真正面からそれに対峙する。 主人公はアマゾンの密林に挑み、主人公の意味不明な夢のために森は容赦なく伐採され、山はダイナマイトでくずされ、密林の中に重油の燃える黒煙がもうもうと昇る。 しかもいやに土木工事慣れした作業員のごとくてきぱきと労働しているのは先住民族たちなのだ。今この撮り方をしたら、ほとんど犯罪的行為だといわれるだろう。82年だってそれなりの非難があったとしてもおかしくない。
ちなみに先住民たちの描き方は、どの程度リサーチしたのかちょっと疑問ではある。撮影用に衣装を着せたようにも思えるし、彼らが鳴らすドラムサウンドもヨーロッパ解釈されたような響きだ。 余談だけれどこの映画、上映会で見に行ったのだが、たまたま知り合いのエコ・フレンドリーなピープルたちが連れ立って見に来ていた。 映画が終わって明るくなったときの彼らの微妙すぎる表情・・・知らずに見に来ていたのか。

この映画を見ると、ヨーロッパ人というもののタフさを感じずにはいられない。地球上の大抵の秘境はヨーロッパ人に探検され、開発され、所有された。しかもどこへいっても彼らは自分たちのスタイルに絶対の確信を持って、どんなことがあってもそれを崩さない。主人公も常に白い麻のスーツを着て、密林の中でオペラを夢見て、探検が始まれば、先住民のドラムサウンドに対抗して、ひたすら蓄音機のオペラを大音量で鳴らしつづける。監督自身がそういうタイプのヨーロッパ人である。主人公のモデルともいえる「フィッツカラルド」という名のペルー人のゴム実業家は、イキトスの町に実在したそうだ。 しかし主人公の異常なビジョンは監督の情熱そのものであり、後半のスペクタクルシーンはドラマの形を借りたドキュメンタリーといっていい。

この有名すぎるスチール。これが特撮でなく、実際に行われているということ。 登れそうにない急坂に車で突入してしまった時のような異様な緊迫感がひしひしと伝わる。 そして後半、船が激流を下って岩場に激突するシーンでは、その船上から撮影し、6人の撮影クルーを負傷させたというということだ(といっても一部、ミニチュアくさい映像もあるが・・・)。 フィルムという架空の、平面的な世界に収めるために、これだけ実際の世界にエネルギーを投入するということ。 ポリティカリーコレクトかどうかという問題とまったく別次元で、このビジョンとエネルギーの強さは映画史有数のものだ。

主役として、これをがっちり身体で受け止めるのがクラウス・キンスキー。異様な相貌にもかかわらず、ただのクレイジーな男ではなく、意外に「理解できる」情熱家として描かれている。だからちゃんと協力者もいて、女子供に慕われたりしている。 キンスキーが密林の撮影に音を上げて脱出しようとして、監督に「じゃ、一緒に死ぬべ」と銃を突きつけれらた話は有名だが、それを見て、撮影に参加していた先住民が監督に「あいつ、ヤってやろうか?」と持ちかけたらしい。 いったいどんな技術を使おうとしていたのか・・・そんな苦労がそのまま撮影にも現れている感じがして、ラストシーン、主人公の夢が違う形で実現する、水上のコンサートのシーンはとても幸福な気持ちになる。
なんとミック・ジャガーも助演で出る話があったそうだ。ツアーが始まってしまい、その話は消えたと。 同じミュージシャンではミルトン・ナシメントがちらっと出ている。何か歌わってもらえばよかったのに。監督は興味なかったのかね。


結論。善兵衛の『映画好きは最低1度は見るべき』級!