ゼア・ウィルビー・ブラッド 


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2008年のアカデミーを「ノーカントリー」と争った映画。
よく知られた話だけれど、この作品と「ノーカントリー」は同じ人物が制作に関わっている。スコット・ルーディンというプロデューサーで、本作では主に資金調達に重要な役割をはたす「制作総指揮(Executive Producer)」「ノーカントリー」では映画作りからプロモーションまでの全般をコントロールする「制作(Producer)」でクレジットされている。
彼がプロデュースした作品のラインナップを見ると、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」「ヴィレッジ」「スリーピー・ホロウ」「トゥルーマン・ショー」「あるスキャンダルの覚え書き」など、なかなかクセのあるナイスな作品がそろっている。

顔には意味はないけど、この人です。
特に「ロイヤル」や「ダージリン急行」などウェス・アンダーソンの作品は大体ルーディンの制作。彼は原作となる興味深い文学作品の権利を買い、面白そうなフィルムメーカーを連れてきて、ハリウッド大作と違うやり方で撮る(たとえばあまりリサーチ結果に左右されない)。この映画の原作は原作は1920年代に出版された石油業界のドキュメンタリーだ。 


さて、この映画、およそ100年前、石油に一生をかけた開拓精神そのものみたいな男が主人公。 ひとついえることは、とにかく古典的なまでに重厚につくって見せているということだ。 石油業界の黎明期。 ‘オイルマン’は油田をさがして不毛の地帯を巡り歩き、地底の奥深くにもぐる。 やがて真っ黒い石油が垂直に噴出し、すると人がわらわらと集まり、鉄道がひかれ、荒野に町ができる。荒涼とした景色のなかだけで、ほとんど男たちだけの世界が繰り広げられる。タイトル自体そうだけれど、神話的ともいえる世界だ。よくもまあ、というくらい最近ではまれな骨太系の世界である。

主演ダニエル・デイ=ルイスの演技は色々なレビューで絶賛されている。 時代がかった重々しいセリフ回しは最近ではちょっと見られないタイプのものだ。日本で言えば黒澤映画の三船のような重々しさだ。個人的なハイライトは、弟と海で遊んだ後、弟のセリフに何かを感じ取り、何かを悟り、再び絶望に沈む主人公を横顔だけで表現したシーン。 海辺の太陽に照らされたような、コントラストの強い画面のなかで、声も身振りも抑えて演技してみせる。
彼と対決する立場の牧師役、ポール・ダノは「リトル・ミス・サンシャイン」では高校生役をやっていたくらいだから若く青い雰囲気を漂わせている。 狂的に聖霊の降臨を説教する教会のシーンが何度かあって、同じ監督の「マグノリア」のトムクルーズを思い出させる。 個人的な好みの問題だけど、彼の芝居はいまひとつ好きになれない。ヒールでもある主人公を際立たせるために、さらに好感度低く演じなければならない難しい役だったのかもしれない。
主人公はじめ、あらゆる役が簡単に感情移入を許さない性格設定になっているので、その意味では観客にフレンドリーな映画とはいえない。 ひとつの英雄譚であることは、すぐに明らかになる。 観客は素直に好きにもなれない英雄の歴史を「理解」しようとしながら、一人の男の苦悩に付き合いつづける。

カメラワークも、端正な、静止画のような構図が色々なところにあらわれる。暮れかかる空をバックにした油井のやぐら。そしてその火災のシーン。写真のお手本のようなバランスの取れた構図だ。それ以外に水平が強調されたり、シンメトリーな構図も多い。バランスが取れた静的な構図は、やはりどことなく古典的な印象をあたえるだろう。 そしてコントラストの強い、ほとんど黒くつぶれた陰と光の組合せ。 ソフトで階調の細かい映像というより力強さをめいっぱい表現している。 あるシーンではやがて殺される男を真っ黒いシルエットに、その後ろの主人公は光を浴びて白っぽく、じつに分かりやすくシンボリックに光と陰を使っている。主人公たちの撮り方も、暗闇の中で炎に照らされて横顔だけを浮かび上がらせて見せたりして、まるでレンブラントゴヤ肖像画のようだ。 

テーマ曲のように何度かかかる、異様なストリングスめいたサウンドは、レディオヘッドのギタリスト、ジョニー・グリーンウッドによる。明らかに緊張感を高めることを目的にしている。監督はこの作品を「一種のホラーだ」という言い方をしていて、確かに音響的にはまさにその使い方だ。 そして、テンションが最高潮に達してラスト、悲劇的なシーンのあとにエンドロールが流れ始めると、急に軽快な音楽になる。  
この音楽の使い方は悲劇的なエンディングには合わないけれど、感覚的には違和感がない。 それにはそれなりの理由があるように思える。 たしかに物語は重苦しく、悲劇的だ。 それについて監督は「悲劇の連続の物語、はじめから悲劇的な結末が分かっている物語は、観客に満足感をあたえることがある」と、かなり面白いことをいっている。 この神話的な物語は、悲劇的エピソードがつみ重なり、幸せはあまりにもささやかでもろく、その結晶がハッピーエンドではありえないことを、観客はいやおうなく分かってしまう。 その予感は欲求となり、それはラストが悲劇的になることで満たされる。 同時に長く閉塞感のあるストーリーから解放された解放感が観客にもたらされる。 その解放と満足感のBGMが軽快な音楽なのだ。

結論。善兵衛有数の重量感! たぶん、クラシックになる。