ヒストリー・オブ・バイオレンス



wikipedia:ヒストリー・オブ・バイオレンス

ものすごくざっくりまとめると『家族を守る愛のはずの暴力が、いつのまにか快楽としての暴力、それ自体が目的化した暴力なのか分からなくなる』という話。
まずひとついえることは、とても分かりやすい映画だということだ。 クローネンバーグの映画は、難解ということはなくても、とくに切り口の部分でかなり特殊な設定が多いので、まずそれを飲み込む必要がある。でもこの映画では、ある程度アメリカ映画を見なれていればおなじみの設定や、舞台や、役どころの人たちで構成されているせいもあって、「ああ、こういうことね。で?」という感じで入りやすい。と、思う。
アメリカ田舎町の「ハイ、トム 調子はどうだい」的コミュニティや、町のたまりば、ダイナー。 行ったことはなくてもなぜかおなじみの世界だ。
・ハイスクールでのジョック(スポーツ得意ないじめっ子)といじめられっ子の世界。 突然逆転してジョックをぶちのめすいじめられっ子。
・ギャング。分かりやすく黒い。車も黒い、衣装も黒い。
・過去を消したい男。その過去からやってくる歓迎されない者たち。
・ひとりで街を守る老保安官。もちろん温かみのある人柄で、主人公とも家族ぐるみの知り合いだ。
・勝気な美人妻。
・強すぎる主人公。でも田舎町のパパになりたいからゆるめのジーンズにチェックのシャツをきっちりシャツイン。
ちょっと分かりやすすぎるな、と思っていたらコミック原作なんだね。納得だ。

これを凡庸さから救っているのは、ひとつにはテンションのコントロールのうまさだろう。最初のギャング二人組のシーンは、ちょっと常套句的な見せ方だったけれど、その後彼らがダイナーに現れるシーンや、大物ギャングがあらわれるシーン、主人公の過去が顔を出すシーンなど、やりすぎず、緊張感のあるスタイリッシュな演出だ。画面は田舎町の美しい景色と凶悪な出来事が交互に現れ、ところどころにショッキングな「こわされた人体」の映像を一瞬入れてどきっとさせる。
でも、何よりキャスティングのよさ、役者の力がおおきい。 主人公、ヴィゴ・モーテンセン。 特に自宅にギャングがやってくるシーンは全体のハイライトといってもいい。家族を守るパパから、凶悪な殺人者に変わるシーンは体を傾けて、薄笑い。ややステレオタイプだけどサマになる。すべてが終わって殺人者から、パパに戻る(けれど戻り切っていない)顔。それを見つめる息子にとっても見たことのない表情なのだと理解できる。
ギャング、エド・ハリス。 特殊メイク付きだが、下手をするとマンガ的になるキャラクターをちゃんと怖い人に見せる。不穏な空気をぷんぷん漂わせている。
アニキ、あまり怖くないギャングのウィリアム・ハート。この人はぬめっとした名優系の人だと思っていたが、こんな役もやるんだね。どことなくユーモラスで、怒っているのか笑っているのか分からない表情や喋り方が秀逸すぎる。

セックスシーンも独特だ。パパの時には受身の男で、妻のコスプレにリードされながらも楽しむ夫。 だんだんと凶悪な男の部分が顔を出し始めると、勝気な妻は不安におびえる女に代わる。 そして夫は性的にも攻撃性が増して、2回目は最初とはまったく違う、せっぱつまったシーンになる。ただそれが暴力に見えないように、監督は慎重に演出している(ちなみにその後、妻は前を露出しているが、夫は下半身裸ながらあそこは微妙に手で隠す、という慎重さも見える)。

ラストシーンだけは、わかりやすさを捨て、語り口のペースを落として、役者の演技から観客が答えを感じ取るようなエンディングにしている。露骨な説明よりむしろ感じとれる気がする。

結論。『善兵衛がチア・リーダースタイルの意味に悩む!』