カーズ

http://wdshe.jp/disney/special/cars/index.jsp

DVDにはキッズシールが貼ってあったけれど、キッズ向けの部分と、キッズを映画館に連れて行くパパ向けの部分とちゃんとバランスが取れていて、もちろんストーリーは絵に描いたような気持良い展開で、大人が見てもぜんぜんつらくない。子供向けの分かりやすいキャラクターデザインや単純なアクション、ポップな色使いをまもりつつ、ヒッピー崩れと老軍人の組合せを入れてみたり、しょぼいスポンサーにため息をつき、ビッグスポンサーを夢見る主人公をわざわざ描いてみたり、各種メディアの描き方がいやにリアルだったり、なにより「アメリカの三丁目の夕日」的ノスタルジーをテーマに据えてみたり、なんというか大人が作った商品という感じがすごくする映画だ。
くらべるのも変だけど、たとえば『べクシル』なんて、絵もふくめてもっと大人の観客を狙った映画なんだろうけど、不思議な「大企業の陰謀」とか「生命工学」「特殊部隊」「隠された過去」みたいな世界をそしゃくしきれずに盛り込んだあげく、かえって幼稚なイメージの「中高生専用」みたいな青さがただよっていた。
映像的には、車体への景色の写りこみが今回のひとつのキモらしく、たしかに完璧だけれど、これは車を描くひとならだれでもやってみたい表現だ。フルCGがあたりまえになってからこの表現ができるようになるまで案外時間がかかったんだなあとむしろ思った。それより気になったのは、わりとシンプルな形にデフォルメしておいて、目なんかはものすごく簡単なのに、口だけがいやに表情豊かにぐにゃぐにゃ動くところだ。
これについてはどこかの秀逸なブログで、アメリカでは口の表情が目とならんでメッセージを読み取るための大事な要素になっている、という指摘があった。ほんとうにその通りだと思う。日本のアニメでは大口あけたり笑い口になったりはあってもあまり細かく動かすことはすくないし、だいたい口をじっさいより小さめに描くのが基本的な顔の描き方なわけで、目にくらべると重視されているとはいえない。このカーズではほんらい固い車体を、血の通ったキャラクターの演技のためにどの程度動かすか、というせめぎあいが感じられるけれど、口だけは人間なみにリアルに動くのでちょっと気持ち悪いときもある。ただこのあたりで人相を作っていて、男女の差はほとんど口(とアイシャドウ)で表現している。

それにしても車自体をキャラクターにしたこの映画、なんとも上手いのは車種とキャラクターのオーバーラップのさせ方だ。これは車自体が持っている「人」的な雰囲気だけでなく、その車種に乗るであろう人種もその車のキャラクターになっているということ。なんでこれが見る側もなっとくさせられるかというと、つまり車という商品は「こういう人はこういう車」というのが、わりと明確なセットになっているからだ。ローダウンしたバンに乗っている金融エリートとか、ミアータ(マツダロードスター)に乗るマッチョな中西部男とか、そういうのはないわけだ。きれいなポルシェはそのまま元女弁護士という設定。老軍人はウィリスのジープで、こいつがエピローグでは町乗り使用のハマーをオフロードで鍛えていたりするから笑ってしまう。これ、他の製品じゃ無理でしょ。VAIOくんはスカしたインテリだけどFMVくんは・・・みたいなキャラ設定。じゃあAcerくんはどんなだ。
しかし・・・・2006年のこの映画、デトロイトオートショーでビッグスリーが必死になって電気自動車をプレゼンしている今見ると、どことなくひとつ前の時代の映画に見えてしまう。こういうのはしょうがないことだけれど。

結論。 『善兵衛が二重の意味でノスタルジックになるカームービー!』