ビッグ・リボウスキ



公開された時にはなんだか主人公たちがうっとうしく思えた。若かったんスかね。いまや主人公デュード(ジェフ・ブリッジス)のダメさ加減がいやにしっくりくる自分がいる。よく見ると格好よくさえ見える。というか、どういうわけか僕の周りにデュード的な匂いのするおっさんたちが増加してきたのだ。住んでるところのせいか。
デュードはヒッピームーブメントのノリを完全に引きずり、ピースフルなダメ人間としていつも柔らかそうな服を着て歩きまわる。なぜ柔らかいかというと、着古してくたくたになっているからだし、レスラーパンツに代表される体をしめつけられない服しか着ないからだ。あらゆる意味でしめつけられるのが大きらいなのだ。
そんな主人公が周囲の(ちょっと漫画的な)変人たちに指図されたり、なぐられたり、引っぱりまわされたりしながらも、自分のスタイルをまもりつづけるコメディがビッグ・リボウスキだ。これは下敷きとなっているレイモンド・チャンドラーの物語の基本である。主人公のタイプはだいぶ違うが(ボウリングとかしないし)、基本はおなじだ。
ちなみにちょっと話がずれるけれど、チャンドラースタイルを翻案した村上春樹の小説の主人公たちとも、デュードはかなりちがう。何が違うかというと『スマート』じゃないのだ。村上春樹は、どうしても主人公を賢い男にしたがる。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」でも「羊をめぐる冒険」でもわざわざ敵役に主人公を「こいつは頭が良い」みたいなことを言わせる。これはあまりスタイリッシュなやりかたじゃない。コメディで、主人公のギャグに物語の中の人が大うけする演出に似ている。ダメなお笑いの代表的なやり方でしょう、それ。
この映画の中で主人公を賢いみたいにいう人間はいない。物語のもう一方の主人公「ビッグ・リボウスキ」=デュードと同じ苗字の大富豪の男は、デュードを負け組だと何度もこきおろす。そしてじっさいに主人公の考えることはあまりぱっとしない。大麻の吸いすぎなのか思考に霧がかかっているような男・・・ジェフ・ブリッジスはそんなゆるさの極致のような男を完璧に演じる。
フィリップ・マーロウの立場にある主人公は、そんな感じでヒーローらしいことは何一つできず、災難にあうばかりだが、どことなく格好よく見えてくる。物語の基本に「支えあう男の友情」というような古典的な柱があるせいもある。主人公がそれ以外何にも守られていないせいもあるかもしれない。
よくサスペンスのなかで危機におちいりっぱなしの主人公がほっとできるシーンが二つある。自宅に戻ったとき、それから自分の車に乗り込んだときだ。ふつうほっとできる代表的な場所だからで、だから逆にそこでいきなり危機のシーンにしたりして効果を上げるわけだ。この映画では自宅こそがもっとも災い多い場所である。車も、主人公にふりかかる災いの狂言回しのように、いたるところでぶつかり、盗まれ、暴力の対象になり最後には消滅する。
心休まる場所のなさそうな主人公が、リラックスして自分をとりもどすのが親友と行くボウリング場だ。ボウリング場というのは、50年代的なストリームラインの格好よさがもっとも表現された建築のひとつだろう。コーエン兄弟はその格好よさをあらゆるテクニックで表現する。

親友のウォルター(ジョン・グッドマン)は絶妙なダサさの着こなしもふくめて、なんともいえないおいしいキャラクターなんだが、熱心なユダヤ教徒という設定。しかしデブなマッチョで、アメリカ的なユダヤ人のイメージと真逆なキャラだ。敵役がものすごく格好悪い(クラフトワークもどきの)ドイツ人だったりするが、この分かりやすすぎる対立は、コーエン兄弟の(自分たちが代表的なユダヤのフィルムメーカーと見られていることを承知したうえでの)ジョークだろう。ウォルターがそもそもなぜユダヤなのかというところも笑いのネタになっている。
あとはフセインやら中国人やらオカマなラテンやらイーグルスがだいすきな黒人やら、やたらな人種が登場するところがやはり面白い。ちなみにリボウスキー(Lebowski)という苗字、スラブ系の香りがするがこれはコーエン兄弟の創作っぽい。

このときどき出てくるカウボーイのおっさん、サム・エリオット。格好いいねー

結論。『善兵衛が大微笑のおっさん・変人系コメディ!』