はちみつとクローバー

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なぜか強烈な古臭さを感じた。思わずなにかの間違いで老監督が撮ってしまったのかと思って調べてみると高田雅博監督は映画は初、「なっちゃんオダギリジョーの「LIFEカード」などのCMを撮っていたCMディレクター。年代的にも40代半ばだし、老け込むには早い。

どこが古臭いのか。画面はとくべつ印象に残っていないけれど、可も不可もなかったような気がする。ストーリーはまあまあわりと原作に忠実に、あの甘酸っぱい青春群像エピソードをパッチワークしている。しかし原作と映画が大きくちがうところがひとつある。
原作(とアニメと)は、『青春ってはずかしい』という基本認識がある。青春を描くのは、いや青春そのものがあまりに恥ずかしく、いいわけじみたつっこみがないと耐えられないのだ。だから、じっさいには思い切り正面から青春を描いているくせに、「青春のこっぱずかしさ」をギャグ成分にして、一見、青春物のパロディのように見せているのだ。パロディのようだけれど、じつはパロディでもない。なにげになかなかうまい構造だ。青春をストレートに、熱く、いい話に描けば描くほど「こっぱずかしさ」も増していくので、ギャグ成分も増量され、そっちのおかしさも増える。読むほう・見るほうも適度にギャグや突っ込みで希釈してもらいながら、ほんらいの青春ものの部分ではぞんぶんに泣けるようになっている。
けれど映画ではギャグ・つっこみの部分を基本的に排除した。たしかにその部分は思い切りマンガ的表現で、アニメならありでも実写だと痛い表現になる恐れがある。宮藤官九郎とか中島哲也だとそれができるのだが、多分だれにでもできる技術じゃない(映画で「青春をパロディ化したかのように見せる」ことに完璧に成功したのが中島哲也の『下妻物語』だ)。でも、原作からこのテイストをのぞくとキャラクターだってすこし変わってしまう。あとにはそれほど新鮮でもない青春群像が残るだけだろう。それをあまりヒネらず、すこしノスタルジックに描き、でも原作がギャグだったから多少今っぽい笑いも取り入れなくちゃなあ、などとしたあげく、絵に描いたような「高齢者が描く青春群像」風になってしまったのだ。原作では結局行けなかった海にみんなで行くシーンがあるが、これもあまりといえば常套句的に「バカな男たちが服をきたままずぶぬれ」をなんの注釈もなくやっている。常套句を使うならもうすこしメタな感じで使ってほしい。なんだかいろんな教訓を与えてくれるね。
あと、少し惜しいのは、原作の、同時進行なんだけど後から回顧しているみたいな演出に独特の物寂しさがあってよかったんだけど(過去形で語るモノローグ風のナレーションなど)そのテイストも消えてしまっている。

ちなみに伊勢谷友介たちが住んでいた設定のぼろアパートは、その時点で解体が決まっていた同潤会三ノ輪アパートいい場所ロケハンしたくせに、映画にありがちな焚き火かこんでギター鳴らしてるようなフォーキーな若者群像シーンにしちゃって、これもなんだか古臭いんだよなあ。

結論。『善兵衛がほこりっぽいノスタルジーにむせた!!』