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これは状態の悪い人にとってはかぎりなくキツい映画なんじゃないかなあ。
心療内科閉鎖病棟の中をコメディとして軽く、ドライに、ポップに、多分アンリアルに描いているけれど、基本的に救いは用意されない。しかも後半に行くほど主人公(内田有紀)の救われない内面がほじくり返されるのである。ある意味、その過去の問題点をぜんぶ自覚するというのがカウンセリングにおける治療なのかもしれないけれど。物語のなかでもっともマトモかと思われた女も、最後には救われなかったことが示される。だいたい主人公をリアルでもいろいろ大変らしい、という話がなくもない内田さんが演じるだけにまた。

気がついたら閉鎖病棟で拘束されている主人公。その非日常世界の住人である病棟の女たちは、最初は主人公にとっても観客にとっても理解しづらい異質な存在で、物語がすすんでこの世界が主人公の日常となるにつれて、すこしずつ交流を見せていき、主人公(と観客)が感情移入できる状態に持っていく。 多くの患者たちは、自分が本来はマトモで、あくまで「ある事情」でここにいるだけだと訴える。もちろん主人公もそのひとり。 けれどカントクはその訴えをききいれることはなく、最後もぬるくヒューマ二スティックにシめずに、きっちりとけじめをつける。 主人公も安易に救われず、ここにいるべくしていたんだということを受け入れる。そのラストはけっして幸福とはいえないけれど、救いと感じる人もいるだろう。

ストーリーの中にほっとする部分・爽快な部分・光のある部分はもちろんちゃんとあるし、シュールなギャグもてんこ盛り。決して暗鬱な物語ではないので、楽しんで見られる。 なかでも一番ヒロイックな部分はカントクも「好き」と公言している『カッコーの巣の上で』を下敷きにしている。 「カッコー」で存在感があったのはジャック・ニコルソンたちを抑圧しつづける鬼のような看護婦長だったが、今回、それに似た役はりょうが引き受ける。
全体に前の『運命じゃない人』とちょっと似た、ある視点では見えていなかった本当の意味が、別の視点であきらかにされるタイプの構成。それをほじくり返す役の大竹しのぶが嫌悪感をかき立てる役をあきれるほどいやらしく演じている。さすがですね。 それにしても冷酷婦長役のりょうはいい顔だなあ。唯一無二の顔だ。たぶん街で見たらすこしびびる。あれほどまでに冷酷な顔をしていると、逆にいい人に思えてしまうから不思議だ。この映画でもこれしかない、という役にはまりきって映画の完成度を高めている。蒼井優はわるい役じゃないが、あまりにやせる役のせいか顔の長いキャラクターになってしまった。
ふと思ったけれど、女優は全体に顔が小さい=細いひとたちが集まっているので、集団劇になると、一見顔の長い女たちの群像になる。 しかしリアルではちょっと可愛くてもたいていの日本人女性は丸顔だ。ここにリアリティが欠如する可能性があるな。なんせ集団で丸いですから。

結論。 「善兵衛が身につまされた!」