最前線物語- The Big Red One -


<予告編>
従軍経験があって、ノルマンディー上陸にも参加した監督サミュエル・フラー。この映画のなかの歩兵戦の戦場は、いつも砂塵や硝煙でまわりがよく見えない、轟音で声も聞こえない、しまいには接近しすぎてどっちにいるのかもよく分からない敵と撃ち合う、そんな場所だった。主人公の兵士はモノローグで「死体ととなりの兵士しか見えない」とかいっている。監督にとっての実感だったんだろうか、それが。
彼らの戦場は北アフリカからはじまって、シシリア島、イタリア本土、ノルマンディー、ベルギー、ドイツと進んでチェコで終わる。とうぜん敵も友軍も住民も色々。だから「外国語問題」がときどき変だ。英語しか分からないアメリカ兵の前ではドイツ語やイタリア語が飛びかうのに、ドイツ人どうしだったりドイツ人とフランス人の会話は英語になってたりする。もちろん設定としてはちがうはずだ。のちにこの複雑さはタランティーノの『イングロリアス・バスターズ』で物語のだいじなプロットにまで格上げされる。

物語はエモーションをやたらに盛り上げるタイプじゃない。主人公たちは生き残るし、戦死した兵士の代わりに「補充」された新兵は観客が感情移入する間もなく死んでしまい、名前もあたえられないつぎの兵士に変わる。全編をとおして、戦友のために涙を流すやつは一人もいない。文字通りの青二才だった新兵たちは、見てくれはたいしてかわらないけれど、いつの間にか身体の動かし方も変わって古参兵らしい古参兵になる。でも、彼らが生き残っているのは能力じゃないのだ。めぐりあわせなのだ。ちょっと出来過ぎだけど、その巡り合わせの中で命の誕生にまでかれらは立会う。第一次対戦でも戦った老軍曹(リー・マーヴィン)が映画全体の重しだ。まわりは全員20歳前後の兵のなかで、50過ぎの軍曹。これ以上ない、頼りがいがある父だ。
予算のない戦争ものにありがちなことだけど、ドイツ軍の戦車としてシャーマン戦車が走っている。第二次世界大戦当時のアメリカ軍の主力戦車で、とにかく大量に作られて、戦後も各国で長い間使われた。そいつがただドイツ国防軍のマークをつけて走り回っている。さすがにちょっとどうよというのはある。せめてお化粧くらいはしてもらっても…とね。だからかアメリカ軍の戦車は一度も出てこないのだ。でも歩兵目線で見る戦車の圧倒的な装甲と重量、地面をかき荒らしながら走る感じが妙に実感ある。

シン・レッド・ライン


<予告編>
最前線物語』とくらべるとこの映画の不思議さがよく分かる気がする。まず脱走兵たちの開放感にあふれた平和な日々から始まる。メラネシアの穏やかな海と穏やかな人たちがパラダイスみたいに映される。彼らが仕方なく部隊に戻るところからやっと物語がはじまるのだ。
戦争映画のキモって、あまりにも凝縮された成長のサイクルにあると思う。主人公たちはしばしばイノセントな新兵として戦場にたつ。入隊訓練の同期たちだから、男子校のクラスみたいに悪ふざけしながら半分浮かれた顔で戦場に放り込まれると、残酷なくらい急速に彼らは成長させられる。ふざけあった仲間はあっという間に減っていき、生き残ったものは殺すことにも殺されないことにも熟練していく。そしてある日、のんきな新兵が後方からやってくると、おなじ頃の自分たちがいかに無邪気でアホだったか気がつく。でもせいぜい数ヶ月前のことだったりするのだ。そんな早すぎる成長の帰結として、当然早すぎる死が物語の終わりになる。

この話では、主人公の2等兵(ジム・カヴィーゼル)ははじめからイノセントな新兵じゃない。一度戦場にうんざりして逃げだした男だ。彼は成長したのか、単に腹を決めて自分の居場所に順応したのかわからない。最後の方で、逃げつづける兵士と再開するシーンもある。どちらがどうというんじゃなくて、すでに二人がそうとうに違った人間になっていたことだけが描かれるのだ。はなしは群像劇というべきで、ショーン・ペンジョン・キューザックイライアス・コティーズも見せ場がある。そのなかで『最前線物語』の老軍曹とは違う老中佐が絶妙すぎる。ニック・ノルティ演じる根性派風の中佐は、あきらかに能力に限界はあるけれど、かといって他の良識派より劣っているともいいきれない、彼らのだれが正しいかは、けっきょく巡り合わせなんじゃないかと思わせる、みごとに判断を保留した人物像なのだ。
戦場という空間も『最前線物語』とはずいぶん違う。テレンス・マリックらしく、熱帯の島の林も草原も川も、妙にみずみずしいのだ。川もヒル寄生虫がいそうな泥水じゃない。さらさらと流れる、思わず身を浸したくなるような清流だ。全体にガダルカナルというより(いったことないんだが)牧草地帯みたいな、草原の小さい山々は、もう少し平均気温の低い地帯の風景みたいに見える(ロケ地はオーストラリアが多い)。そんなみずみずしい自然と、突然の銃声や爆発音や硝煙の対比が印象に残る。

さわやかな自然だけじゃなく、全体に静かな戦争映画だなぁと思う。内省的だし、それから兵士たちが何度も回想する、故郷に残してきた恋人や妻のすがたが戦場と交互に映されるのだ。『最前線』ではそもそもそいういう主観シーンはゼロで、それが映画の味だった。こちらの映画では、記憶の中の彼女たちのシーンはひたすらに静謐で夢幻的で、その繰り返しの中では、丹念に描かれた局地戦の現実感も、なんだかあいまいになってくるような、そんな映画ではあった。