新春フィリップ・シーモア・ホフマン祭り!

フィリップ・シーモア・ホフマン。いまやアメリカのひとくせある作り手の映画でデブといったらこのひとだ。『カポーティ』『その土曜日、7時58分』『ビッグ・リボウスキ』。このブログでもすぐに上がってくる。アカデミー賞をとった『カポーティ』では作家カポーティになりきりつつも、実物は珍妙なチビだったカポーティに少し威厳をくわえたキャラクターを造形して、映画全体の雰囲気をつくっていたし、『その土曜日』の、そこそこ頭がいいけれど、犯罪をびしっと決めるほどには切れない悲劇的な中年男役もこれしかない存在感だった。
そんなわけでもちろん好きな俳優だ。わりと彼がでそうな映画のほうが好き、というバイアスもある。でも、特に理由もなくふと見たいと思って借りた3本に全部ホフマンが出てきてるのには驚くだろう。ただレンタルショップで思いついたりメモみて思い出したのをふらっと借りただけなのに。…これはもうみちびきだろう。ホフマンとともにあれと。

『マネーボール』


<公式><予告編>
ここでのホフマンはGMビリー・ビーンブラッド・ピット)と対立する昔気質っぽいベテラン監督。よく審判に猛抗議して出っ腹をぶつけるみたいなアレだ。GMがおす選手をぜったい使わず、選手起用はオレのテリトリーだ、とあごを突き出す。でもGMの逆襲でひいきの選手をトレードにだされて半泣きの顔になる。しぶしぶポンコツのはずのGM押しの選手たちを使っていくと、その後チームはあれよあれよと…というぐあい。五分刈りでマッチョ気質のアメリカンなおじさんキャラ(田舎にいがちな、がんこで保守的なおっさんのタイプ)で、いつもとは結構雰囲気が違うから最初はわからなかった。そうか、この手のキャラもいけるんだなーという印象だ。監督が『カポーティ』のベネット・ミラーだからホフマンの出演もとうぜんといえばとうぜん(『カポーティ』はフィリップ自身の制作だしね)。

映画自体はそれなりに面白かったし、ブラッド・ピットの「この人一生かっこわるくなることはないだろうな…」という映画的すぎるたたずまいにはたしかに惚れるけど、展開があまりにも絵に描いたような 挫折>問題発生>トライ>挫折>復活>栄光 的なパターンどおりじゃないの、という印象はちょっとある。個人的には<ボールパーク(野球場)>   というものの美しさと、野球人にとっての神聖さみたいな雰囲気をどーんとどこかで出してくれるともっと感動したかな。単なる仕事場じゃなく、というね。少しそれっぽいシーンはあったんだがわりと薄味だったし。まぁそれは僕の勝手な思い込みだけど。

『25時』


<予告編> 
ここでのホフマンは主人公のドラッグディーラー、モンティ(エドワード・ノートン)の幼馴染みジェイコブ役。まじめでお固い上流ユダヤ系の高校教師だ。セクシーな女生徒に内心興味しんしんだけど、育った道徳観もあるし手をだしたら免職どころか犯罪になるから、その辺はきっちり線を引く。けれど放課後、深夜にモンティたちに連れられてクラブに行くとそこで彼女に再会してしまう。勝手に酔っぱらってだんだんアレなことになる生徒。さて先生は… 
監督スパイク・・リーはどこかきっちりした倫理観を持っているイメージがある。最初のころはプロテストの声をストレートに映画に乗せるタイプだった(し、今も立場は変わらないだろうけど)から、お行儀のいい映画とは逆の存在に見ていた。でも90年代後半以降の問題作にときどきある、メッセージを強烈に伝えるために倫理のたががはずれたみたいなえぐい展開にするのは彼の作風とはちがう。逆に近年は『インサイド・マン』みたいにどこか端正なサスペンスを撮る作家、というポジションにも見える。暴力描写もすごく抑制がきいてるんだよね。
この映画もわりと端正だ。話はモンティが麻薬所持で服役が決まり、拘禁される前日1日のできごとをおう。ある暴力がストーリーのクライマックスになるんだけど、そこもいきすぎた感じはまったくなく、ヒューマンドラマ内の暴力だ。ジェイコブも想像をはみ出すほどのことにはならない。ホフマンの何となく不穏なキャラから、どこかで爆発するのか…?と期待半分で見ていると、結局はそういう裏の顔みたいなものは出てこないで、まじめで誠実なジェイコブのキャラクターのまま最後までいく。そこは少し肩すかしだった。

それよりもう一人の幼馴染み、フランク役のバリー・ペッパーがいい。若い頃のクリストファー・ウォーケン風、ドラッグならぬ株式ディーラーで、序盤からとうてい善人には見えない顔つきなんだけど、意外に情にあつく、固い友情をこころに秘めていた人間だったのだ。このあたりのキャラと役者のミスマッチ感が逆によかった。どっちかというとストーリー上の「友情」の熱い部分はフランクとモンティの間にある。ジェイコブはそこを中和するほわっとした存在だから、妙に強烈なことをはじめてしまうとなんだか拡散してしまうんだろうね。
スパイク・リーらしく、主人公のアイリッシュという血へのこだわり、ニューヨーク生まれらしい思いの吐き出し(前年に起きた9.11への思いも)、エスニックグループへのちょっと風刺めいたシーンがある。このシーンなんかストーリー上はまったくいらないのだ。それでも描く。それがスパイク。

『パンチドランクラブ』


<予告編>
ここでのホフマンは主人公バリー・イーガン(アダム・サンドラー)をゆすって小金をゲットするマットレス売店長ディーン。出番は少ないんだけどこの役はいい!絵に描いたような小悪党で、愛人にテレフォンセックスオペレータをさせて個人情報を聞き出し、あとで脅しにかかる。実行部隊はアホそうな白人4人組だけど、こいつらも強そうに見えない。簡単に居場所をつきとめられて、逆襲の電話がかかってくるとすぐに自分が逆上してしまう。せこくて子供じみたおっさんだ。
ポール・トーマス・アンダーソンらしい、全員がどこかたががはずれた妙な人々で、小さい日常だけを描いているのに、起こることも映像もどことなくシュール。人によってはわざとらしくシュールなだけじゃん、と感じるかもしれない。なんとなくだけど森田芳光の現実から浮遊した感じをちょっと思い出す。たとえば最初にバリーが電話しているシーンでは、その後映る事務室ともちがう、どこかもわからないやたらと空虚で広い部屋で、その片隅のちいさいデスクにちじこまって青いやすっぽいスーツのバリーがいる、という感じだ。
お話は、どこか不穏な感じで世間とずれていて女性ともうまくつき合えない(それでいてなんとかビジネスはやれている)主人公バリーに、姉の友達のリナ(エミリー・ワトソン)がひとめぼれ、バリーもすぐに有頂天になって、あらゆる障害を乗り越えてつっぱしるというラブストーリー。恋のあれこれとか問題発生とか、リアルに共感するタイプの物語じゃない。どっちかというと弱者キャラのバリーも、じつはささいなことでブチ切れるとまわりが引くくらいの破壊衝動を発揮するおとこで、映画上は得なこんな性質をいかして小悪党たちを一瞬でぶちのめしてしまうのだ。

リナ役のエミリー・ワトソン。どうしても『奇跡の海』イメージが強すぎて、小ぎれいブロンドの普通の女性役なんだけど、こっちもどこか不安定な予感がせずにはいられない。だから変人のバリーに惚れるというキャラも納得しやすいんだろう。バリーの部下、ランス(ルイス・ガスマン)がよすぎる。
映像は全体にすごくきれい。全編を通した絵的な特徴として、わざとカメラに向けてライトをあびせて画面のどこかにレンズフレアを見せる。ものより光が映っている感じの画面だ。2人がハワイで再会するシーンは明るいハワイの風景の手前で、群衆、出会う2人をシルエットで撮る。ハワイ以外は全体に殺風景な場所ばかり、人がすくない画面で、特に街中のロケでは主人公たち以外にだれもいないし、迷路っぽい空間をバリーがさまようシーンもなんどか繰り返される。こんな画面とラブストーリーの組み合わせが非現実感をもりあげる。ようするに、ストーリー上でも説明をはぶいていることもあって、全編が孤独なバリーの妄想じゃないか、という風にも感じられてしまうしあがりなのだ。
サウンドトラックがものすごくいい。ありものポップミュージックではなくてシーンによりそったシンプルなサウンドだけど効果的だ。