マインド・ゲーム


<公式>
湯浅政明の『ケモノヅメ』『四畳半神話体系』どちらもけっこう好きだ。ラフな画風で、奇妙で暴力的でスタイリッシュな『ケモノヅメ』、うってかわって整った線と装飾的な画面で京都の大学生たちをかわいく描いた『四畳半』、どちらもいまの日本のアニメでいう「おとなの鑑賞にたえる画面」のおやくそくにはまらずに、独自のポジションをちゃんと確保している。ここで言っている、つまりぼくが感じるおやくそくとは、優等生的リアル表現とか無駄に高精細度の画面のことだ。
マインド・ゲーム』は湯浅監督の最初の劇場用長編、2004年公開。ストーリーをいちおう書くと(説明してもあまり意味のないタイプの作品なので)、借金取りに追われる美人姉妹にほれていたダメ青年がアクシデントで一度殺されたものの、「神さん」に拝み倒して復活させてもらい、そこからヤクザとわたりあったり文明社会から孤絶したりしつつ、姉妹やヘンなじじいと自由に思い切り楽しく生ききったるでー・・・という話。荒唐無稽っぽいけど、意外にロビン西の原作マンガに忠実だ。
原作が力いっぱい主張してるのは「おまえの世界はおまえの意識しだい」ということ。思いの強さ次第で世界は変わるし、想像力を解放すれば無限の未来が広がるし、悲惨な状況にいるみたいでもマインドセッティングによってすばらしい時間が待っている、そんな世界観をイメージのリミットを外して描く。そのいっぽうで、「表現者」への素朴すぎるあこがれが見えたり、唯脳論やいろんなスピリチュアリズムの世界観が飲み込んだままの形で出てきていたり、青年というものの救いがたいアホさが青年である作者によって全肯定されつつにじみ出ていたり、と、ぼく的にはちょっと痛い部分が正直ある。
監督はそこに微妙な調整を入れてお話の外形を整える。アクションを整理したり、登場人物の恋愛関係にひねりを入れたり、ラストのクライマックスに行くための動機づけをつくったり、絵のエロ指数をたかめたり。スピリチュアルなメッセージは目立たないように後退し、かわりにあたらしいメッセージが入れられた。それは「みんなそれぞれかけがえのないパーソナルヒストリーをもっているんだ、いま、物語のなかで交錯し、同じ時空を共有したキャラクターたちは、だれもがそれ以前のぼうだいな時間や物語を経てここにいるよ」というものだ。プロローグとエピローグにキャラクターたちの幼い頃からのエピソードが時代を象徴する映像といっしょにコラージュ的に紹介される。
原作では若い主人公たちそれぞれのかがやかしい「ありえる未来」がとんでもなく無邪気に描かれる。意味合いとしてはエピローグなんだけど、おもしろいのはもっと前の段階でこれがでてくるのだ。映画ではその部分と対応させるような形で過去の思い出の断片を入れる・・・ただ、正直に言うと、過去の思い出シーンの、だれがどの人の若いときだったのかが1回ではわからなかった。特に何人かいるおじさんやおじいさんが最初わからなかった。ぼくの観察力の問題かしら? だからまぁそういうことなんだろうと思ってみていたけど、実は・・・という過去の因縁がぴんとこなくて、いまひとつ感動はなかった。

ちなみにキャラクターの顔など絵は原作とけっこう違う。ひきついだものは「いきおい」だ。とにかく疾走感がすごい。緩急はあるけれどしんみりと止まるシーンがまったくなく、キャラクターたちはありえない運動能力でうごきまわっているし、奔流のようにつぎからつぎに流れてくるイメージにやっとの思いでついていくうちにラストを迎えるような感覚だ。現実と超現実と、超現実だか現実だかもう関係ないイメージとパラレルワールド的シーンと想像と、あらゆるシーンがつぎからつぎに最小限の説明で切り替わる。動画の動きも速くてじっくり絵を楽しむ前にどんどんシーンは変わっていく。画風も次々変わる。手描きのラフな線画、CG、ちょっと意味不明な実写加工映像、昔のマンガ風、セル画じゃない風の絵、杉浦茂風シュール、などカオス寸前で、しかもそれがあらゆるジャンルの多彩なBGMとシンクロしながら動いて、疾走感とトリッピーな感じはマンガの雰囲気そのまんまだ。ちなみに音楽はこれまた才人の山本精一で、一人のミュージシャンとは思えないあらゆるジャンルの曲をぶちこんでいる。
このオモチャ箱的で疾走する映像の情報量の多さに観客がたえられるには、たぶんラフでシンプルなキャラクターがちょうどいいんだろう。静止画的なクオリティーじゃなく、うごきと変化の質、まあそういう意味ではアニメの原点で見せる映像だ。・・・日本の、絵の評価が高いアニメでは、高畑勲沖浦啓之的に微妙な顔演技を再現したり、細田守的なこまかい動きのリアリティを入れたり、CGでアニメっぽさを残しつつクオリティ感を出したり・・・もちろん見ごたえはある。でも公式サイトで漫画家の高野文子がさすがのコメントをよせている。「人体は写実に描かないほうが話が良く動く」。ホントにそういうことで、『マインド・ゲーム』の、往年のマンガ映画的ふりきりはなんだか気持ちがいい。結局リアリティといってもどこかでデフォルメはしてるんだしね。リアルな顔表現がはいりそうなアップの場面でいきなり実写顔を入れてしまうというのも、「職人芸で顔のシワ描くよりおれはこっちでいいよ」という宣言みたいにもみえる。