NOPE/ノープ

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ストーリー:ハリウッドに近い荒野で馬の牧場を経営し、映画に貸し出しているヘイウッド家。この辺唯一の黒人が経営する牧場だ。父が不可解な事故で死んで長男のOJ(ダニエル・カルーヤ)が引き継いだけれど、経営は思うようにいかない。父の事故は空から降ってきたコインが頭蓋骨にめり込んだのだ。あきらかに巨大な何かが上空にいた。妹のエメラルド(キキ・パーマー)はそれを動画に撮れれば一気に売れると撮影機材を揃える。そしてまた上空に.....

本作、まず言えるのは映画館で見るのがふさわしいし、たぶん損した気持ちにはならない。映画が一律料金なのって時々不思議に感じるところがあって、「どう見てもこれは水曜の安い日グレードでしょ」と思うのは結構あるけれど、本作は堂々の正規料金グレードだ。映像はIMAX対応で美しいし、大画面で圧倒されて楽しむタイプのスペクタクルだ。しかも音響がただの重低音大爆発とか音楽かけっぱなしとかじゃなく、独特なサウンドで見る側を揺さぶり、映像の情報量を何倍にも膨らませてくるので、劇場の音響じゃないと映画が薄味になる。

そう、監督ジョーダン・ピールの第3作の本作は、『ゲット・アウト』『US』の、わりとミニマルでミステリアスな世界の出来事と比べると、はっきりとSFスペクタクルだ。いや前2作も画面はスタイリッシュだったし特に顔演出にそうとうインパクトはあった。ただ本作はストーリーとかプロットをある部分超えて、画面や音響で満足度を与えようという、スペクタクル映画そのものの作りだ。そりゃそうでしょう。巨大UFOものですから。

ただ、いわゆるその手の大作とは味わいが違う。無理やり例えると、小洒落たレストランで出てきたTボーンステーキみたいで、ひねりの効いた付け合わせやオリジナルな前菜や独特のスパイスで彩られて、逆に単純に肉にかぶりつきたい人からすると脂っこさや若干焼きのクリスピーさが足りない、的な何かを感じた。

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(c)2021 Universal studios via "Pia"

本作のスペクタクル以外の要素を付け合わせや前菜扱いしてはいけないのかもしれない。アフリカン・アメリカンの監督の中で最重要人物になりつつあるピールは(自分は白人文化の中で育ったけれど)黒人作家としてのスタンスは揺るがない。本作でも映画史の中でなかったことにされていた黒人の功績をキャストのセリフで語らせるし、牧場主、カウボーイ的な存在という、白人の得意分野みたいに扱われてきた役割は黒人の主人公が担っている。古き良き西部の小さなテーマパークの経営者兼ショーの主役としてアジア系のスティーブン・ユアンをキャスティングする。じっさいの歴史では、非白人のカウボーイは多かったのだ。

それに映像だ。ノーラン作品でIMAXフィルムを扱っているホイテマを呼び、同じIMAXフィルムで撮る。乾いた西部の砂漠と空と、それから古い技術(『吸血鬼』みたいな)をアップデートして撮った幻想的な夜景。カラーリングもすごく品があってまさに高級店の味だ。『ノーカントリー』を思わせるところもある。

 

それから、ネタバレにならない程度にいうと、本作のある意味本質は『映画を作ることの映画』でもある。予告編にあるみたいに、まず兄妹はバズる映像を撮ろうとする。UFOを撮るのだ。そこには本作の撮影とおなじIMAXフィルムのカメラまで出てくる。そもそも主人公の牧場が、映画撮影用の馬を育てていて、かれらも映画産業にいる。映像産業と動物、という世界でもあるのだ。

そういう全てを収めてしかもエンターティメントとして成立させる入れ物としてスペクタクルは確かに機能している。上で書いているようなあれこれは重層的な物語を作っているけれど、小難しく迫ってくることは一切なくて、ちゃんとメインディッシュのインパクトで観客を持っていく作りだ。ただ「焼のクリスピーさが」なんて下手な例えをしたのは、アクションのリズムがそんなに最高じゃなかったからだ。いや映像はいいですよ。でも他がすごくオリジナリティに溢れているのに比べると、クライマックスのアクションの見せ方は、そしてスリルはそこまでじゃなかった。だからぼくの満足はクライマックス以外のところにあった。

 

監督はスペクタクルを撮りたかったんだといっている。劇場に観客に来てもらうために。ノーランもトム・クルーズもそんな使命感でIMAXカメラを駆使して撮っている。TVコメディアン発、3作目の監督だけど、そういうコメントとか映画史を盛り込むところとか、立ち位置をすごく考えている人なんだろう。

舞台になった牧場はFirestone Ranchという映画用なのかな?そんなところ。見渡す限りの荒野の風景だけど、車でハリウッド中心地まで1時間もかからない。まあ60km以上は離れてるけどね。東京と湘南くらいの距離感だ。そんな便利な場所だから、このエリア、Agua Dalceでは大量の映画が撮られている。当ブログでいうと『フォードvsフェラーリ』。確かに抜けのいい空港やサーキットシーンがあった。あと何故か『シングルマン』。小洒落た映画だけど、砂漠っぽいシーンあったかなあ?

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春原さんのうた

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ストーリー:美術館での仕事を辞めて桜が見える古民家風カフェでアルバイトを始めた沙知(荒木千佳)。知り合いのおじさんが故郷に帰るのであいたアパートの部屋に引越しをする。家具もそのままだ。淡々と暮らす沙知をなぜか心配して色々な人たちが訪ねてくる..... 原作は東直子の短歌「転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー

2022年1月公開。飯田橋ギンレイホールで見た。ものすごくざっくりいうと24歳の一人暮らしの女性の淡々とした日常を描いたスケッチ的な映画だ。ありますよね。キラキラした職業とか綺麗なマンション暮らしじゃ今更リアリティ無さすぎでしょ、というここ10年くらいの描き方だ。TVではまだあるのかも知れない。ぼくが見るような映画では、主人公は東京でも地に足がついたエリアの古いアパートを自分らしいちょっとした美意識でスタイリングして...という感じだ。

本作は飛び抜けて地に足がついている。アパートは知人のおじさんの部屋を居抜きで引き継いで、外光を入れていい雰囲気で写しているけれど、美意識とかのレベルじゃない。ファッションで何か主張しようという志向にも見えない。勤めているカフェは実在で、これも民家をうまく使ってチープな内装はそのままに外の桜や里山を借景にしているような店だ。お客さんもお洒落系よりは色んな年代の、その街にいそうな人たち。

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©Genuine Light Pictures

でも、分かりやすい癒し系の日常映画じゃない。観客に与える説明は最小限で、見ている僕たちは「この物語はどこへ行くんだ?」という妙な緊張感と集中をしいられるのだ。登場人物たちの関係も説明しない。たまに「おじさん」とか「おばさん」と呼ぶから想像はつくけれど、似たような年上の女性たちが様々に登場してくるから誰がどんな関係かも分かりにくいのだ。

撮り方の1番の特徴は主人公たちの行動を映像じゃなく音で伝えるところだ。例えば主人公の部屋をフィックスで見せるカメラがある。人物が入ってくる。でもすぐに脇の部屋に入って見えなくなる。そこで水音や金属があたる音が聞こえて台所で支度し始めたのがわかる....。知り合いのバイクが来たのが分かるのも音だし、あるシーンでは見えない誰かが吹く笛の音でちょっとしたドラマが展開する。

映像の外で起こっていることを音で観客に分からせる手法は普通にある。でもここまで徹底してやって見せるのはなかなかない。そのために音声はクリアに具体的にデザインされていて、街のノイズも常に聞かせる。BGMは非常に少ない。しかも分かりやすくエモーションをかき立てるシーンでかかるわけじゃなく、どことなく不吉な響きでさえあるのでミスリードされかねないのだ。

音声について1つだけ好みじゃなかったのは、なんだろう、セリフの音がちょっと近すぎる気がした。映画の中の女性たちはコミュニケーションを柔らかくするために常に笑う。ハッピーなシーンでなくても常に笑い声が入る。だんだんそれが居心地悪くなった。もう少し離れて聞こえていた方が僕の距離感としてはちょうどよかった。

そんなふうに物語の説明は最小限だけど、主人公をとりまく風景は、とても丁寧に、具体的にイメージが沸くように撮られている。本作は東京西部の2つの街が舞台だ。小竹向原聖蹟桜ヶ丘。主人公が住んでいるのは小竹向原。駅前の景色がうまく切り取られて、実際より田舎の街風に見える。カフェが聖蹟桜ヶ丘。川に面していて、向こう側に多摩丘陵の森が見えるから、最初は「どこの地方都市だろう?」と思った。『偶然と想像』と同じ撮影監督の手で、なんてことない郊外の2つの街は、美しすぎもせず、でもなんとも味わいある場所に撮られている。

本作はコロナ禍まっただなかで撮影された。小規模な作品だから街でのロケではマスク姿の通行人たちも写り込んでしまう。主人公たちもその時代のドキュメンタリーとしてマスクをしている。だからよけいに主人公から読み取れる表情も減っている。自分がつくづくマスクにうんざりしてるから、映像の中でもマスクなのは少し息苦しかったけどね...

そんな感じで、本作は知識なしでまず見るのがおすすめだ。たぶんすぐに理解させずに限られた情報から想像を広げて欲しいんだろう。公式サイトも見ないでいい気がする。説明が少ないとはいえ、ある時点でどんな物語かは分かるようにできている。

ちなみに最小限いうと、監督が「裏の原作」と言っている東直子のもう一首

夜が明けてやはり淋しい春の野をふたり歩いてゆくはずでした

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは最悪。

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ストーリー:ユリヤはノルウェーオスロに住む女性。成績優秀で医学部に入学したけれど何かが違うと心理学科に転入、それも違ったので大学をやめてフォトグラファーを目指す。そうこうするうちにアラフォーのコミックアーチスト、アクセルと出会い一緒に暮らすようになる。アクセルが求める妻的立場は拒否しつつ、自分には何もないことに落ち込んだある日、若いカフェ店員のアイヴィンと出会い....

2021年、ノルウェー他製作、監督はデンマーク人のヨアキム・トリアー。ぼくの知っているトリアーといえばラース・フォン・トリアーしかいないわけだが、彼と遠いながらも血族らしい。もちろん作風はぜんぜん違う。主演レナーテ・レインスヴェは初主演でいきなりカンヌ主演女優賞受賞だ。ま、柳楽優弥の例もあるし、アカデミーよりは新鮮な驚きを評価することがあるんだろう。

ここ何年か色々佳作が出ている「等身大の女性もの」(ざっくりした言い方だけど)の一連の感じでも見られるだろう。女性監督が撮る作品も多いけれど本作は1974年生まれの男性監督だ。で、見た感じでいうと、意外とユニバーサルな作品になっていた。言い方硬いけど、ようするに「ノルウェー人」「30歳前後」「女性」でないと本当には語れないような....とは割と逆の、世界中のわりと多くの人が自分たちに置き換えやすい物語だということだ。

https://www.cinemacafe.net/imgs/zoom/567943.jpg

(C)2021 OSLO PICTURES - MK PRODUCTIONS - FILM I VÄST - SNOWGLOBE - B-Reel – ARTE FRANCE CINEMA via cinemacafe

主人公は元々学力が高くて、医大に入り心理学科に転科する。「医学部に入ったのに?」とも思うけれどノルウェーは国公立大に入れれば学費は無料なのだ。その後自分はクリエイティブな人種だと「気がつき」、その道を目指し、クリエイティブで生きている彼氏と暮らし....という絵に描いたような自分探索家、「私まだ本気出してないし」タイプだ。ルックスがいいしオープンだから人と仲良くなりやすく、彼氏も求めればすぐできる。こんなタイプは若い時期はとうぜん自己評価が高くて謎の全能感さえみなぎったりする。

彼氏の家でそれなりに快適に生きているけれど、30歳に近づくとそろそろ謎の全能感も枯渇してくるようになる。冷静に考えればクリエイティブでもなんの実績も残してないし才能も証明できていない。ふと絶望的になる彼女はもう一つのプライド、アトラクティブな自分を再確認する方に流れていく。ぐうぜん出会ったちょっといい感じの若い男に近づいて、彼が自分に夢中になりつつあるのに気がつくと、そのことがすごい輝きになってくるのだ。

年上の彼氏に「母親になってほしい」と言われて苛立ったり、もちろん女性としての圧迫や悩みも描かれる。ただ主人公は悩むより口に出し、行動するタイプで、語り口があまり内面に入り込まないし、コメディめいた描写もところどころに挟まれて、そんな所もあってぼくも置いていかれることなく見られた。監督は自分にいわゆる「当事者性」がないことは重々承知だろう。わかる人にしか描けない微細な語りはそれができる作り手に任せて、ひらけた作りにしたんじゃないだろうか。

一種の内面描写では上の公開映像のシーンが見せ場だ。見てもらうと分かる、主人公がオスロの街を駆け抜けて、海に近い若い彼氏のいるカフェまで会いにいく、その間背景になる市民も車もトラムも静止画として止まっている。

でも、実はこの映像、特殊効果じゃない。単に人々に止まってもらって撮っているのだ。木の葉や旗が風でなびいたりしている。プルプルしそうな姿勢で微動だにしない人やバイクや自転車もあるから、色々工夫はしているんだろうと思うけれど、とにかく面白いシーンだ。

さて、世界のどこでも自分に置き換えられると書いたけれど、映画としてはやっぱりノルウェーの映画だ。オスロじゃないとダメなのだ。というのも本作、夕方から夜のシーンがとても多いのに画面がいつも明るい。夏の白夜の時に撮っているからだ。夕方にお別れしているように見えて、一瞬の夜を抜けた明け方だったりするのだ。この柔らかい光に包まれていると全体がなんだか幸せな雰囲気になる。オスロは海辺を見下ろす丘の地形で街の眺望も美しい。

上手いのは、物語の前半、主人公がまだ夢見てる時期、彼氏と楽しくすごしたり新しい出会いがあったり...というあたりは夏の景色、白夜の光の中で撮っていて、後半、彼女がいろんな現実に打ちのめされ始めると、秋に向かった少し寒そうで光が弱々しい風景の中になる。物語自体は数年間のできごとだから、季節は何度も巡っているのだ。

主演のレナーテ・レインスヴェは過去に監督作に出演していたけれど、俳優業に見切りをつけかかって大工(というより内装業?)になろうとしていたらしい。でも監督は彼女に特別なものを感じて、あてがきで脚本を書いた。繊細な雰囲気というよりは大柄でポジティブな生命感が溢れるタイプに見える。それも本作の悩める主人公をどことなく楽天的な雰囲気にしている。

 

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空と戦闘機と突き抜けた情熱 〜 トップガン・マーヴェリック & 地獄の天使

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本作、2022年の公開作の中では邦画アニメとかを合わせても相当上位に行きそうだ。解説動画の乱立ぶりや熱さも相当な感じで、本作を愛するのはけっして86年の旧作ファンや長年のトム・クルーズファンだけじゃない。

車もバイクもスポーツモデルに熱い眼差しを向けるのは中高年メイン、という日本で、同じように男子が「格好いいもの」の1つに入れていた戦闘機も昔ほどかれらの心をときめかさない(なぜか鉄道愛はすたれないが)。男子のハートに連綿と受け継がれるメカ愛は、たぶん戦闘アニメのロボットが受け止めているだろう。そんな中で「戦闘機って格好いいんだよ!!」と、ほぼそれだけを描いている本作が受けまくっているというのが正直おどろきなのだ。

誰でもわかる格好良さ、視覚的快感(と飲み込みやすいストーリー)をきちんと映像化したトム・クルーズと製作者たちの情熱とビジョンが素晴らしかったんだろう。ジェット戦闘機のアクロバティックな動きも、信じがたい操縦テクニックも実機で再現して、俳優をその環境において撮り切る。クリストファー・ノーランが『ダンケルク』でIMAXカメラを無理やり飛行機に押し込んで撮っていた空中映像を、本作では同じIMAXでもデジタル用のより小さい機材をふんだんに使って空中シーンは基本的に全て実写で見せる。

「もうこんな映像、撮れないだろう」評論家たちもいう。戦闘機アクションが物語として意味をなす時代の終焉も近いし、実写で困難な映像を撮ること自体、物好きの趣味と捉えられて、作り手の強烈な意思と情熱と実行力頼りの絶滅危惧種になっていき、そもそも単品の実写大作が衰退しつつある、そんな時代だ、とね。僕たちは20年くらい後にも「色褪せないねー」と言いながら本作を見返すのかもしれない。

「戦闘機って格好いいんだよ!!」 同じことを熱く思い、莫大な情熱と資金を注ぎ込んで強烈な映像を撮ろうとした作り手はこれまでもいた。そんな作り手の始祖で、かつトムと比べても最大級の突き抜け具合なのが、ハワード・ヒューズだ。彼の制作・監督作品が1930年公開の『地獄の天使』。

原題はHell's Angels、ハーレーに乗った長髪・ヒゲ・サングラス&レザーベストのいかつい叔父たちのイメージだが、第一次世界大戦中の英国空軍パイロットを主人公にした戦記物だ。第一次大戦終戦から10年ちょっとの時期に、イギリス、ドイツの当時の戦闘機を大量に買い集め、パイロットを90人近く動員し、荒野に広大なセットを設営して、実機の空中戦シーンを撮り切った。

Amazon Primeで普通に見られるので、『トップガン』が格好いいと思ったらおすすめだ。すげえすげえと言われる実機のコックピットシーン、90年前のこの映画で完全に実現されている。背景や光の合成は到底今みたいにできない時代、リアルな映像は実機にカメラを載せて撮るしかない。↓これ、同じでしょう。もちろんフィルムカメラ。よく搭載できたと思う。

https://ttcg.jp/movie/images/TGM-FF-F-001R_resize.jpg

Ⓒ2021 Paramount Pictures Corporation. All rights reserved. via ttcg.jp

scene from "Hell's Angels"


これ以外も夜間にドイツ軍の飛行船がロンドン爆撃に来襲し、英国軍が迎撃するシーンがある。飛行船は模型でも迎撃機は実機だろう。夜間だから光量が少ない中で嘘くさくなく見せている。飛行船の爆発墜落シーンもリアルで、有名なヒンデンブルク号墜落シーンを思わせる。墜落して水素が炎上する中でトラス式フレームが崩れていくシーン、事件映像を参考にしたのかと思ったけれど、ヒンデンブルクの墜落は1937年なのだ。

戦闘に使う機材は英国軍が当時の主力機S.E.5a、ドイツ軍は傑作機フォッカーDVⅡ。実機を本物の戦闘機パイロットがバリバリに飛ばしているのは『トップガン』と全く同じだ。空中戦ではドイツ軍の戦術をちゃんと再現して上空から1機ずつ急降下して敵機に襲いかかかる。当時の戦闘機は最高時速200kmそこそこで、超音速のF-18とは比較にならないけれど、その分大量の戦闘機が入り乱れて、クイックな動きで敵の背後を狙ったり、映像のダイナミックさは90年前の古典を見るときのそれじゃない。あと音声がつくトーキー映画の草創期なのに、飛行機のエンジン音がすごくいい(トーキーで公開するために音声なしで一度完成していたのに全部撮り直したそうだ)。ハワード・ヒューズは20世紀最大級の富豪の1人で、財産を父から受け継いだ彼は飛行機にのめり込み、映画を愛し、この大作を作り上げた。彼の人生を描いたマーチン・スコセッシの『アビエイター』でも本作の撮影シーンがある。広大な荒野から戦闘機が離陸するシーンは、どう見てもヨーロッパ戦線の風景じゃないけれど、そんなことはどうでもいいのだ。ヒューズの飛行機愛はその後も加速し、超大型飛行艇を作ったり、航空会社を設立したりしていった。

彼は若い頃に大富豪御曹司の身分を隠して航空会社に入り操縦をマスターして、本作の撮影中には自分も飛行機を飛ばして墜落し、後遺症を負ったという。『トップガン』ラストで口角の上がったトムが第二次大戦の戦闘機P-51と戯れる。機体がトムの私物なのは有名で、本人が操縦して楽しんでいるんだろう。『バリー・シール』で運び屋操縦士を演じていたトムは自分で操縦していた。おなじなんだよね。おなじ「飛行機&映画バカ」という失われていくタイプの人種なのだ。

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リコリス・ピザ

 

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ストーリー:1970年代前半のLA、San fernand valley。15歳のゲイリーは学校に写真撮影の助手で来た25歳のアラナに声をかけ、デートに誘う。冗談でしょ、と受け流したアラナだったが結局ゲイリーが待つバーに行ってしまった。ゲイリーは同級生たちとビジネスを始める。絶賛自分探し中のアラナもいつの間にかそれを手伝うようになり、お互いが気になりあう2人は...

1970年代前半。舞台になったLA北部は監督ポール・トーマス・アンダーソンの地元で、初期作『ブギーナイツ』の舞台でもある。あっちは本作の数年後の設定だ。前作『インヒアレント・ヴァイス』もだいたい同時代のLAだ。当ブログで言うと『あの頃ペニー・レインと』が1973年のサンディエゴが舞台。主人公も16歳で音楽雑誌の記者になってバンドのツアーに参加する早熟な少年だから、本作と近いものがある。

最近、色んな監督が自分の思い出の時代を思い出の街で撮った作品が続いていて、本作もわりとその流れで語られがちだ。『ROMA』から始まってね。ただ監督は1970年生まれだから、街の空気を意識するのはもう少しあとだろう。主人公たちも監督からすればだいぶお兄さんお姉さんだ。それでも「街がどんなだったかは自分の記憶をたどればいい」と言っている。

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© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved. via void

物語はまあラブストーリーというべきなんだろう。25歳の女性と15歳の少年。こういう設定、ないわけじゃなかった。昔の『青い経験』的な、大人の女(例えば教師)にリードされて少年は....という元少年の性的ファンタジーそのもののプロット。なぜかイタリア、フランスに多い気がする。大人の女性視点で、その関係が破滅につながるストーリーが『あるスキャンダルの覚え書き』だ。

本作はきっちりと外してくる。まず少年は青くも純情でもないのだ。あまり売れないながらも子役俳優で妙にショービジネスずれしている彼は、自営業の母親のサポートで店を借り、子供たちだけをスタッフに当時流行りだしていたウォーターベッドを売りまくり、その後はピンボールができるゲーセンを開店する。しかも女友達には不自由していないのだ。むしろ女性が「あたし15歳の子たちとつるんでるの、どうなんだろうこれ」と自分で突っ込みながら、やりたいことも決まらず、少年と同レベルでビジネスを手伝い、彼にやきもきする。

全然純情ストーリーでもないけれど、無駄に性的ファンタジーを駆り立てることもしない。この辺のセックスへの距離感は監督のいつもの感じだ。あんまりいない感じの少年だから、むしろ生々しさが減っている気がする(実在モデルがいるのに)。映像的には、歩いたり走ったりする主人公たちを後ろから、横から追うシーンがとても多い。お互いを求める気持ちと、健康な若さを表現する、映画全体のモチーフとして使っているんだと思う。

1970年代の彼らの目に映った景色を甦らせるため、いつも通りデジタルじゃなくフィルムで撮り、カメラには古いレンズを取り付け、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の現場で余った古い照明器具を引き取って夜のシーンに使い、衣装も風景も街の記憶を再現する。古いレンズは逆光のフレアが美しかったから監督は好んで使ったみたいだ。光源が美しく映り込む映像は、監督の過去の作品、『パンチドランク・ラブ』を思い出した。

主役クーパー・ホフマンは40代で死んだフィリップ・シーモア・ホフマンの息子。子役がもっさりと大きくなってしまった感じがよく出ていて、そんな遠くない未来に父と似た体型になりそうな素質がにじみ出ている。アレナ・ハイムはバンドHaimのメンバーで3姉妹の末っ子。映画用メイクをいっさいしていないのもあって、じつに味わいある顔つきだ。監督が撮ったHaimのMV。この『Summer Girl』、曲的には『Walk on the wild side』オマージュっぽいけどすごくいい。youtu.be

1970年代のLAの記憶は、今のダイバーシティーに溢れる映画世界じゃない。当時出始めていた日本食レストランのエピソードでアメリカ人オーナーの日本人妻が出てくるくらいで、アフリカンもラティーノもアジアンも出てこない。市議に立候補する青年はゲイであることが知れると致命傷になるから必死で隠す(『MILK』の少し前の時期だ)。そんな時代をそんな時代として描く。

物語はふっと終わる。こういう作品によくあるみたいに今につなげたり、「その後彼らは...」みたいな、そう、本作がお手本にした『アメリカン・グラフィティ』的な描き方もない。あえて過去が過去だったことを思い起こさせるような、ノスタルジーを掻き立てる語り口じゃないのだ。ただその映像全体に流れる空気感で、すべてが今の出来事じゃないことを無意識に感じさせて、なんともいえない余韻を残す映画だ。

 

 

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