WW2戦車モノ2本 その1 T-34 レジェンド・オブ・ウォー

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ストーリー:第二次世界大戦独ソ戦線。モスクワ近くまで侵攻したドイツ軍戦車部隊に1台だけ残ったT-34が立ち向う。初実戦の士官イヴシュキンは数台を撃破するが捕虜になる。時がたち、ドイツ軍基地で模擬実戦をすることになった。捕獲したT-34ソビエト軍の捕虜に操縦させて撃破するのだ。戦場で対決したドイツ軍士官イェーガーはイブシュキンに白羽の矢を立てる。選ばれた彼は仲間たちと密かに計画を立てる......

全米ならぬ全露で大ヒットし、日本でも配信メインだけどそこそこ評判だった本作。ミリタリー好き観客の評判も割といいらしい。なんだかわかる気がする。戦争映画というより戦車映画なのだ。ロシアのゼロ戦的な名戦車T-34を主人公に、シンプルに戦車VS戦車のバトルが楽しめるタイプだ。2018年公開で、実写映像もCGも十分見られるクオリティだから、「しょぼさに味わいがある」的捻った視点も必要ない。

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マニア受けがいいだろうなと思うのは、そして戦争映画とも違うかなと思うのは、戦争全体は描かないからだ。まず死者があまり映らない。もちろん戦闘で死ぬ兵士はいる。仲間がやられて沈痛な顔になる主人公。銃撃でなぎ倒される敵。でもそれ以上は映さない。後半はほぼ戦車だけのバトルで、巻き添えになる生身の歩兵もいない。全編を通して戦闘シーンには民間人はゼロで(お話上、退避させている)、人的被害の心配もない。

ロシア映画だから、視点は完全に「ソビエト軍最高!T-34最強!」で、ドイツ軍はシンプルに敵役だ。でもドイツ贔屓が多い日本の観客でも割と抵抗なく見られると思う。ソビエト側が主人公だからソビエト寄りというだけで、それ以上の理由はないし、ナチスの悪辣さを特に表現してもいない。だいたい登場人物たちの人となりをあまり掘り下げるタイプの映画じゃない。背景も特にないし、主人公たちは眼前の敵を倒すだけで、戦いへの苦悩も迷いもない。

主人公とライバルは戦車を指揮するコマンダー。戦車同士、正面からは破壊しづらい。コマンダーは操縦手と砲手に司令を出して敵戦車の弱点に回り込み撃破する。純粋に戦車の動きと「この角度から砲撃すれば倒せる」というバトルのロジックがわかりやすい。お互いが発射する砲弾をCGのストップモーションやスローで見せるから、弾道や炸裂、どんなダメージを与えてるかがきっちりわかる。悲劇性を抜いた純粋バトルとしての戦車戦。ある意味『ガールズアンド・・・』に近いのだ。

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そしてライバルのドイツ軍将校イエーガーがいやに魅力的だ。戦車戦エース同士のリスペクトもあって主人公になにげに好意的。クラシックな戦争もののパターンだ。一方主人公は自分たちを捕虜にしたナチには唾を吐きかけたいくらいで、その片想いめいた関係性も全体のトーンをちょっと甘みよりにしている。

映像クオリティは十分に高い。T-34は実物を使っているらしい。第二次大戦後も各国で長い間使われていたから、今でも比較的見つけやすいのかもしれない。戦場でエイジングした鉄の質感が実にいい。ドイツ戦車は映画用の改造だろうけれど嘘くさくないし、質感もいい。部隊になるロシアの寒村の屋外セットは西部劇の荒野の町みたいで荒涼とした風景に冬季迷彩の戦車たちが合う。ロケ地はこの辺だ。

 

後半の南ドイツの町の風景も美しい。クライマックスのバトルの舞台はクリンゲンタールというチェコ国境近くの町だ。

ちなみにメイキング映像がこれ。

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■写真は予告編からの引用

 

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DUNE 砂の惑星

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ストーリー:西暦1万190年。皇帝が支配する宇宙帝国の1つの星を統治するアトレイデス家に別の星の統治命令が下る。宇宙航行に不可欠なスパイスの産地、惑星アラキス、通称デューンだ。家長の父(オスカー・アイザック)母ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)、15歳の息子ポール(ティモシー・シャラメ)たちはデューンに降り立つ。しかし新たな統治は、それまでデューンを支配し、スパイスで巨額の富を築いていたハルコンネン家と皇帝の陰謀だった....

見たのはけっこう前で、IMAXの映像に十分満足したんだけど、何かを書こうとするとピッタリと指が止まる自分がいた。『STAR WARS』シリーズなんかもそうだった。止まりすぎて記事にさえしてない。本作がまとっている物語は豊穣すぎて、そのどれももう十分に語られている。熱心なファンは前作(36年前だ)から思い出を刻んでいるのだ。

原作はSFの古典的名作で、物質の摂取による精神の変容や環境問題をテーマにがっつり取り込むあたりもいかにも1960年代的だ。「1つのスパイスによって星間航行が可能になる」とか「極度に乾燥した星で使う、体から出た水分を循環させる服」とか「砂の下で蠢く体長数百メートルの虫」とか魅力的なイメージが盛られていて、発表当時から映画化が考えられていたのも無理もない。1970年代の映画化プロジェクトの頓挫(その顛末が『ホドロフスキーデューン』)、1984年のデヴィッド・リンチ版、ドラマ版をへて2021年の本作だ。

 

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見比べると、原作・前作リスペクトがかなり感じられる作品になっていた。エピソードも、映像表現の仕方も前作の映画にけっこう寄せてきている印象だ。もちろん1980年代の特撮技術の限界によるキッチュさはできるだけ排除されている。映画全体の雰囲気では監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの前作、『ブレードランナー2049』と連続性を感じる。

とにかく語り口が落ち着いている。編集リズムも戦闘シーン含めてシャカシャカしていないし、ギミックっぽい表現もないし、大袈裟なエモーションもコメディー要素もない。映像の色調もすごく抑え目でコントロールされていて雑然としたところがいっさいない。撮影監督は違うけれど、監督のビジョンも大きいんだろう。それから巨大構造物愛、年月をへた建造物愛をすごく感じる。

SFの中の巨大宇宙構造物。本格的にモノにしたのはたぶん『2001年宇宙の旅』の宇宙船や宇宙ステーションの表現だと思う。そして『STAR WARS』だ。長大な貨物列車が通過していく時みたいに、超巨大な宇宙船がえんえんと時間をかけて画面の手前から奥に消えていく。機敏に飛び回るスペースプレーンと違う格好良さだ。

 

改めて見ると、リンチ版でもそんな宇宙船が出てきていた。ヴィルヌーヴは『メッセージ』でもぼんやり浮く巨大宇宙船を描き(同じ巨大UFOでも『インディペンデンス・デイ』とかみたいに強大な力の象徴じゃない)、『2049』では都市のメガストラクチャーを描いた。本作では宇宙船だ。鈍重に、でも確実に浮遊して星間を移動する超巨大宇宙船。建築物も壮大だし、砂の下の巨大な虫(サンドワーム)はさらにスケールアップして地形レベルの大きさになる。

IMAXのちょっとしたビル並みの画面で見るとその巨大さは重量感をもって迫ってくる。本作はIMAX用に撮られていて、次回作も監督は劇場公開を条件にしている。IMAXといってもVR的な没入の仕方じゃないけれど、本作はあきらかに「巨大さ」という視覚的体験を与えようとしている。劇伴も体験を強化するためのパーツで、機械のうなりみたいな重低音を使う。作曲家は違うけど『ボーダーライン』を思い出す部分もある。

物語的には完全に「第一部」だし、ところどころに込められている物語的エモーションは、どれもありがちなパーツで、その部分で心震わせられるような感じじゃない。やっぱり映像体験型なのだ。

ちなみに、これも前作通り、物語後半は主人公ポールと母ジェシカが2人きりで、アクション的にもこの2人がひっぱって行く。母は連綿と続く女系秘密組織の一員で、息子の能力を鍛錬し、砂漠を走るのもなんなら息子より速く、超自然的な力も持ち、しかも格闘でも一級の実力者だった。この関係性、割と見慣れない構図で、新鮮かつ、怪しげな空気感を観客が勝手に感じ取ってしまう罪作りな設定でもある。ポールを演じるシャラメは26歳、母役のファーガソンは37歳だからおっかさん的には見えようがないのだ。まあポールが15歳設定くらいだから不自然じゃないけど。

その分、父は存在感が薄く、むしろ敵の巨頭ハルコンネン男爵が異様な男性性を発散しながら存在している。演じるのはステラン・スカルスガルド。ただの大柄な老人風にも見えるが『ニンフォマニアック』とか『ファイティング・ダディ怒りの除雪車』とか目が離せない俳優の1人だ。

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配信系2作 KATE & ミッチェル家とマシンの反乱

■KATE

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ストーリー:ケイト(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)は親代わりのヴァリックウディ・ハレルソン)に技術を仕込まれて、今では一流の暗殺者になった。今度の仕事場は日本、ターゲットはヤクザの親分(國村隼)。しかし前の晩に毒物ポロニウムを飲まされた彼女の余命は24時間だとわかる。彼女は、なぜか相棒になった少女アニと、自分で決めた最後のミッションに向かう....

本作は最近のアクションムービーの一大勢力、デヴィッド・リーチがプロデューサーでかんでいるプロジェクトだ。彼のアクションデザインの会社87elevenのプロジェクトは『ジョン・ウィック』シリーズ、『アトミック・ブロンド』『エクスペンダブルズ』...ただし本作は入ってない。

観客は、まずは『アトミック・ブロンド』風に女性のガンアクション&体術をクールな画面で楽しんでいく映画を期待するだろう。そして舞台が日本。大阪の空撮から始まって、舞台は東京、日本のヤクザには國村隼浅野忠信、MIYAVI、それに何故かあっぱれさんまに出ていた内山信二などの見覚えある顔が並ぶ。もう一人のヒロイン、アニも「かわいい系」大好きな日本人の少女設定だ。日本人観客はその辺りも味わいつつ楽しむ感じになる。

欧米メジャーのエンタメ映画に各国の犯罪組織は欠かせない。それぞれエキゾチシズム込みで描けるから、作り手側としてはありがたいはずだ。マフィア=シチリア南欧っぽい風景。ロシアンマフィア=寒々しいモスクワあたりの風景、意味ありげなタトゥー、ヒューマントラフィッキング。メキシコや中米のドラッグカルテル=ジャングルの中の豪邸、残虐すぎる見せしめの殺人、軍隊みたいな武装。あとはブラジルのスラムと一体になった少年ギャングとか中華街的風景とセットになったチャイニーズマフィア...まあ色々名作はある。

そしてヤクザだ。だいたいサムライと混同されて、下手するとニンジャ的メンバーまで入れられて、和風の料亭めいた場所で秘密会議が行われる。本作もそこはまったく変わらない。指定暴力団のリアリティはここでは必要じゃない。舞台は現代化されたビジネスヤクザのハイパーモダンなビル、昔かたぎの親分がいる茶道の宗主の家みたいな品のいい屋敷、東京でも相当レアになった路地の飲み屋街。あと能やら大太鼓やらがミックスされたステージ付きの謎料亭。

本作では最終的にほとんど正義側まで持ち上げられる1人を除けばヤクザは主人公に狩られる見栄えのいい敵の集団に過ぎない。人間的に意味を持たされているのはその1人だけで、けっこうな役者でもチンピラ口調で薄いセリフを喋らされたあげく、あっさり死んでいく。相棒アニも、似たポジションの『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』のスリ少女(もっと年下)より幼稚だ。主人公の人間的な葛藤の相手は育ての親兼上司のウディ・ハレルソンなのだ。ま、ハリウッドスターは主人公以外ほぼ彼しかいないからね。

日本人って、昔から「海外に誤解されたヘンな日本」像を楽しむというたしなみがある。古い映画はもっとひどかったし、ありていに言えば露骨に下に見ていたから流石に不快なものも多かったけれど、それなりにイメージが良くなって日本カルチャーが好きなクリエイターも増えて、あとポリコレ的に無茶な表現はなくなって、割と微笑ましくズレを楽しめるようになった。本作も日本ではそういう感じで受容されていくんだろう。海外観客からすれば「今の日本」的ステレオタイプに多分合ってるから味付けとしては十分だろう。

本作、Netflix映画としては全世界で結構ヒットしたらしい。時間も100分だしちょっと寝転がって見るアクションとしては申し分ないよね。まあそのテンションで見てるとこの描き方も別にいいか、という感はあった。ただ日本人云々別にして、敵側をもう少し厚く描けば1段お話として格が上がったのにな、という気はした。


■ミッチェル家とマシンの反乱

ストーリー:ミッチェル家の長女、アビは映像制作が好き。家を出て映像学科に入学するつもりだ。父リックは映像の道も家を出るのも賛成しきれず娘にすっかり嫌われてしまった。いよいよ入学の時、リックは家族で娘を送っていく旅を計画する。ところが巨大IT企業PAL社のプロジェクトの中枢にいたAIの反乱で世界は大混乱におちいって....

制作は『スパイダーバース』『LEGOムービー』『曇り時々ミートボール』、それに『ブリグズビー・ベア』などの制作、脚本チーム、フィル・ロード&クリス・ミラー。まあ普通に面白いです。お父さんの思いと娘の自立心のすれ違いとか、どっちかというとアウトドア&日曜大工派のお父さんのがパソコンやネットで苦労するお馴染みのくだりとか、お母さんや息子のご近所一家との微妙な距離感とか、それ以外も細々としたギャグが楽しい。

敵の人工知能、高性能ロボット集団も残虐なわけじゃなく、適度にスキも愛嬌もある。敵の総帥は、外形はスマフォなので(スマフォの中のAI的存在)、スマフォの悲劇あるあるネタも面白い。お話は破滅する世界の中でのロードムービーになっていて、一家は1984年型のシボレーのワゴンで時にのんびりと、時に豪快に爆走する。

本作を見てて思うのは、日本のアニメでこういうファニーな顔のキャラクターって作れないのかなということだ。ぼくはごくごく限られたアニメしか見てないから知らないだけかもしれないけれど、特に女の子、どんなに等身大のキャラクターでもいわゆる美少女顔ばっかりじゃないかという気がする。例えば湯浅政明の『君と波に乗れたら』なんてもっと普通顔の主人公にした方が馴染みがいいと思うんだけど。女性の観客も美少女的なキャラクターの方が投影しやすいのかなあ(あれは位置付け的には少女マンガの延長なの?)。

本作はヒロインのアビ以下、見てもらえば分かる通り、実に等身大っぽいビジュアルだ。ほとんどただの1人もいわゆる美男美女キャラはいない。なんかね、こういう幅が合ってもいいと思うんだが..

お話は最後の方になるとお母さんがスーパーヒーローなみに無双になったり段々と日常感覚から離陸していき、シメは想像どおりに心地よい感じで収束していく。

 

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ギャスパー・ノエ 2作

■LOVE 3D

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ストーリー:マーフィーはパリ在住のアメリカ人。妻のオミと息子のギャスパーと3人暮らし。1月1日の朝、元恋人エレクトラの毋から娘の安否を心配する電話が入る。彼と別れて以来自暴自棄になって連絡も取れないらしいのだ。マーフィーは失った愛を思い出す。それはオミも巻き込んだ鮮烈な思い出だった....

ギャスパー・ノエブエノスアイレス生まれ、パリの映画学校で映画制作を学んだ。監督した長編は5作しかない。当ブログで取り上げている『アレックス』『エンター・ザ・ボイド』から、こうして残り2作を見ると、つくづく「ノエ印」としか言いようがない特徴がこってりとと盛られている。

ノエ作品はどれも取り返しのつかない時間の中で生きる男女の話だ。運命に抵抗はできない。でも男女はやたらと生命感に溢れている。主人公はいつも若くて体格がいい白人の男女だ。男は背中が厚く短髪で、女は割と背が高くちゃんと筋肉があって、2人ともその身体で目一杯に生の悦びを享受する。ドラッグとsex、それにクラブの爆音とダンスだ。そんな彼らの居場所、空気の悪そうな赤い光と黒い影の空間もノエ作品お馴染みだ。

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本作の構成は『アレックス』に似ている。主人公が現在から過去の恋愛を振り返っているから、時制も基本的には逆行している。ダメになった恋愛でも最初は初々しく楽しげな、そんなシーンが最後の方に出てきて、いつも通り、セリフで物語のテーマめいたことが語られる。ラスト(時制的には最初)で空気が穏やかになってほっとする感じもそっくりだ。

本作は今まで以上にストレートにsexがテーマ。しかも3D映画だ。映画館で見るべきだったんだろう。大画面の3Dでね...どんなだったんだろう?画面はあけすけなまでに写されたヌードシーンが5分に1回は出てくるのだ。そこも含めての立体化だ。

ここで日本人観客はいつものアレに対峙することになる。ぼかしだ。主演男優のプライベートな部分には血液がみなぎっている風なのだが(それを映してるとすれば結構すごいことだが)、ぼかしに霞んで、作り物でもわからない。3Dの中でのぼかしはどう見えたんだろう。下手すると無修正動画の方が見慣れているいまの観客からすると、これはあまりにも伝統的な映画の作法で、久しぶりに見たことで「ああ、映画なんだ」と再認識するという奇妙すぎるメタ体験を得られるのだ。

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前も思ったけれど、動画が無数に溢れている今、映画で見せるsexシーンの意味ってなんなんだろう。昔あったありがたみは完全に消滅している。映し方で独創性がある場合もあるけど、あとは「ポルノじゃないのにこんなん見えてます」という異化効果的な、まあ文脈だよね。あとはあくまで「ストーリーを、エモーションを伝えるのに必要だから」的なことだろう。

本作にもエモーショナルなシーンはもちろんある。恋人2人の関係性が、2人、時にはそれ以外の男女が混じった色々なsexに反映するのだ。ただなあ。マーフィーのあまりのクズっぷりに主人公的な感情移入はできなかった。チープなマチズムを振り回し、恋人がいようがすぐ他の女の子に手を出し、そのくせ恋人には嫉妬深くすぐに切れ、嫌われても自分のエゴだけでつきまとい、芸術的才能もない。それでもエレクトラは(途中までは)愛を語り続けるのだ。

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ノエは情熱的に愛とsexを描くけれど、どこかホモフォビアの香がするし、産む性としての女性の持ち上げやファルス崇拝めいた描き方が、単調に、一面的に感じないでもない。パリで映画学校に通うマーフィーには多分監督のどこかも投影されているだろう。ちなみに本作では息子の名前は「ギャスパー」だし、エレクトラの元恋人のギャラリストは「ノエ」だ(しかもノエ自身が演じて)。

愛を受けながらちゃんと受け止めず、作品も作れず、「何もかも失った」とか泣く主人公にどこか監督の(自己を投影してるとすれば)自虐なのか?みたいにも感じてしまったのだった。


■クライマックス

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ストーリー:1996年、フランス。あるステージのためにオーディションで集められたダンサーたちは山奥の廃校での3日間の合宿で振り付けを仕上げる。最終日の打上げ。DJがダンスミュージックをかけ、プロのダンサーたちが自由に技を見せ合う。ところが途中から急に空気がおかしくなる。パーティーで出された飲み物に誰かが強烈なドラッグを仕込んでいたのだ...

今のところノエの最新作だ。2018年公開。実話インスピレーションだそうだ。本作はノエ作品のもう一つのパターン、「体験型」っぽさが前面に出ている。ノエ作品の特徴である、迷路性がある空間の中での出口が見えない息苦しさ、クラブめいた場所でのダンスとドラッグでもうろうとした視界の再現。『LOVE3D』にもそれはあった。本作ではそこからロマンチシズムを取り去ってる。

話は本当にミニマル。独特なようでいて意外に親切設計のノエ作品らしく、初めにオーディションの場面を借りて、出演者の顔やちょっとしたバックグラウンドが後半のヒント込みで紹介される。キャストは主人公以外、本業のダンサーたちだ。それぞれ得意ジャンルが違うから見せるダンスのスタイルも色々で、前半のクライマックスであるワンカット5分以上のダンスシーンは、いろんなダンスのコラージュみたいなショーになっている。

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パーティーが始まると酒、そして知らずに飲まされたドラッグのせいでsexと暴力が前面に出はじめる。メンバーはいつもながらの若くて身体的エナジーに溢れる男女だ。なんせ全員ダンサーなんだから。白人たちと黒人たちのグループはそれぞれに合宿中狙っていた男女に近づき始める。前作と似てるのはまた白人短髪のクズ男がうっとうしく色んな女性につきまとう。

薬はやがて彼らを強烈なバッドトリップに引き摺り込む。ここからが第二幕だ。時間的には半分近いここでキャストたちのクレジットが凝ったフォントでリズムに合わせてばんばん出てくる。『エンター・ザ・ボイド』でもやっていた。あえての古臭さ(90年代感?)もありそうだけど格好いい。

そしてバッドトリップが本格化するといつもの出口のない息苦しい世界になる。画面の色使いといい、所々で使う真上からのショットといい、ほんとにいつものノエ調だ。ラストはやっぱり悪夢からさめたみたいに静寂が戻る。

ところで、音楽は90年代が舞台だからそれに合わせて往年のダンスミュージックがかかるんだけど、なぜか80年代初期のゲイリー・ニューマンが使われてて驚いた。テクノがポップミュージックに入ってきた初期の頃の人で、ずっと消えていたはず。監督の好みかな?

■写真は予告編からの引用

 

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アリ・アスター2作

■ヘレディタリー 継承

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ストーリー:夫、息子ピーター、娘チャーリーと暮らしていたアニー(トニ・コレット)の母が亡くなる。4人になった家族を次の喪失が襲うまでには時間は掛からなかった。絶叫するアニー。やがてアニーは奇妙な降霊会のメンバーに誘われ喪った家族を呼び戻そうとする。徐々におかしな言動が目立ち始めるアニーにピーターは怯え、夫は苦悩する。ある時ピーターが異様な幻影に襲われて....

2018年の話題作だ。アリ・アスター監督の長編デビュー作、制作はA24。予告編にも書いてあるとおり(【超恐怖】現代ホラーの頂点)、ストレートなホラー映画だ。スプラッターじゃない、ニューロティックな不安感を掻き立てるタイプの、強引にジャンル分すれば心霊ホラーだ。プラス、家族ドラマの恐怖モノでもある。

画面は端正でジャンルムービー的なチープさはない。アニーは自分たちの人生をミニチュアの模型で再現するアーチストで「母の最後の入院」シーンを作ったりするのだが、実際に作られた模型たちもなかなかのクオリティだ。家族が住む森の中の家も立派で、夫婦とも少し前のボルボに乗っているあたり階層を感じさせる。

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前半はニューロティックホラー的展開。ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』を思い出す人は多いだろう。構造的にはすごく似ている。家族に接近してくる奇妙な高齢者、妻だけが感じる不吉な予兆は、ひょっとすると彼女の精神が参っていて浮かぶ妄想や幻想じゃないか...と観客も疑う作りだ。同じポランスキーの『反発』『テナント』とも似てる。

特徴的なのはサウンドの演出で、画面上はごく普通のシーンにこれ以上ない不穏な環境音楽的劇伴が重なると、途端にまがまがしいことがおきつつあるみたいに見えてくる。そんな感じで観客に「予兆」だけ十分感じさせ、そこに突然「どーん」とアイコニックなまでにインパクトのあるシーンがぶち込まれる。

その一方で亡くなった祖母がどうやら精神的にかなり偏向していて家族にも影響を与えていたり、そのせいなのかアニーは普通でない形で過去に家族を失っていたり...という要素も徐々に足されていく。アニー役のトニ・コレットは美しいのだが序盤から恐ろしい形相で絶叫して見たりして、すでに怖い。娘役ミリー・シャピロは、原宿ファッションやJアニメ好きな16歳、という素顔が想像できない異様な「何か持ってる感」をかもしだす。

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後半に向かう展開も『ローズマリー』と共通だ。オチに近づくのでこれ以上は書かないが、前半の不安感や家族関係のキツさ描写から、クライマックスに向けてインパクト連打へと盛り上げていく。ラストに向けては若干の「なんじゃこりゃ」シーンも出始める。古典的名作『エクソシスト』の少女逆さ四足歩行みたいな感じだ。

インパクトシーンの容赦ない見せ方やある種筋の通った救いのなさ、監督は日本も含めた色々なホラーの古典を参考作に挙げているけれど、ピーター・グリーナウェイの『コックと泥棒、その妻と愛人』も挙げているのは納得度が高い。教養人でありながら、あえての装飾的とも言えるグロシーンの見せ方...たしかに通じるものがある。

ラストは全くハッピーエンドじゃないにも関わらず奇妙な祝祭感に包まれたままエンドクレジットを迎えるだろう。

 

 


■ミッドサマー

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ストーリー:大学生ダニー(フローレンス・ピュー)は突然両親と妹を失いそれ以来時々パニック発作に襲われる。そんな彼女に同情しながらも彼氏クリスチャン(ジャック・レイナー)は軽いうざさを感じていた。留学生ペレの誘いで男友達だけでスウェーデン旅行に行こうとしていたのがばれ、ダニーも同行することに。ついてみると森の奥の村ではみんなが白い民族服に身を包み、白夜の中夏至祭が始まるところだった....

前作の評判もあって、本作はけっこうな話題作だった気がする。ビジュアルもいいんだよね。北欧って今だとどっちかというとミニマル・ナチュラルで趣味がいいモダンデザインのイメージが強いけれど、本作は花満開の白い衣装の男女、的イメージだ。

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本作はスウェーデンのプロデューサーからの自国を舞台にした作品オファーを受けて、監督自身の恋愛(失敗)体験を重ねて作られている。しかし面白くも不思議なのは、このスウェーデンの田舎に対する圧倒的な異世界視線だ。だいたいこういう「奇妙な風習を守る文明に迷い込んだ先進国の若者たちがひどい目に...」モノは亜熱帯とかの未開とされている民族を適当に設定するのが圧倒的に多い。名もないチープな作品が無数にあるだろう。

逆に自分たちの国に隔離された奇妙な村があるタイプも結構ある。このジャンルの名作(本作のリファレンスの1つだろう)『ウィッカーマン』はビジュアルもネタも実によく似ている。『リーピング』『ホットファズ』もそうだ。でもスウェーデン。他国でありつつ、さっきも書いたみたいに、社会的にははっきり言ってアメリカよりモダンな部分が結構ある、そこをこういういわばオリエンタリズム全開でエンタメ化するという...

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本作の中には老人がコミュニティーから身を引き、若者たちが生活する領分を守る、という資源が少なかった時代の風習が描かれる。日本では『楢山節考』で描かれた姥捨と同じだ。ちなみに姥捨まで行かなくても、ある年齢以上の老夫婦が村から少し離れた山林に近い家に移る風習はじっさいあった。思えば桃太郎の老夫婦もそれかもしれない。

まあそれはともかく、メイポールだったり、多産の儀式=公認されたsexだったり、自然素材を使った不気味な装飾だったり、古代文字だったり、キリスト教以前の古代ヨーロッパ文化を思わせるアイテムてんこ盛りで、多分欧米の観客も考察や解説で何杯もご飯が進むだろう。儀式的sexのシーンで何故か老若の女性が全裸になる....トム・フォードの『ノクターナル・アニマルズ』を思い出した。あれは悪意に満ちたアート作品としてだったが。

ところで監督は好きな日本の(ややホラー味の)作品に溝口『雨月物語』を挙げている。古いモノクロ映画だけど画面のアーティスティックな美しさは比類ないので未見の方はぜひ。

■写真は予告編からの引用

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