タイムループ3本その1 恋はデジャ・ブ

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ストーリー:お天気キャスターのフィル(ビル・マーレイ)は大してメジャーでもないのにスターぶっている男。ある街の年中行事の取材にブーブー言いながら出張だ。仕事を終え、帰ろうとすると吹雪で道路が封鎖になり、仕方なくもう1泊する。朝6時、目が覚めて外に出ると、どういうわけか世間は昨日とまったく同じ。そう、彼はタイムループの世界に閉じ込められてしまったのだ....

1993年公開。監督は1984年のヒット作『ゴーストバスターズ』のハロルド・ライミス。本作、なかなかの名作扱いだ。『ナイトオブザリビングデッド』がゾンビもののテンプレートを確立したみたいに、本作は近年のタイムループものの元祖かつ基本になっている。大体こんなフォーマットだ。

①主人公は1日単位で繰り返される世界に閉じ込められる。

②主人公が寝るか死ぬか、意識を失って目覚めると全てリセットされて、同じ朝が来る。

③ループの中で身体は年を取らない。でも記憶は積み重なる。だから今日を初めて体験する人と比べるとどこか世の中を見通している感じになっていく。

④主人公は初めはろくでもない人物だけど、段々と自分を見つめ直して成長していく。

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イムループの世界は人生の「あそこ、やり直せれば...!」という願望をミニマルな形でかなえる。今日が明日を制約し、どうしようもなく未来へ突き進んでしまうこの世界からの離脱、という願望の実現化でもある。でも、そういう因果律からの解放はけっきょく生きる意味を失わせる牢獄なんだ、という教訓めいた語りにもなる。

本作もそのフォロワー作も、全般にポジティブな物語だ。人生何度でもやり直せる、という感じ、繰り返される毎日を精一杯生きる大切さ、何をやっても無意味に見える世界の中で生きる意味を考え始め成長していく姿....いい話にしやすい。本人の記憶はリセットされず積み重なる、というところがキモだ。毎日は繰り返しでも成長することができる。

本作は元々ロマンチックコメディーとして構想されたのもあって、タイムループに陥る理由とかメカニズムは全く追求されない。とにかくフィルはループにはまり込み、詳しくは描かれないけれど、少なくとも十年分は続いている。そんな世界の中でのフィルの気持ちの持ちようと、ヒロインへの思いがお話のメインだ。

フィルは最初のパニックから立ち直ると、毎日リセットされるのに目をつけてやりたい放題し始める。ヒロインへの想いが高まってうまくやろうと無限のリテイクを繰り返す。しかしやがて絶望が訪れて死んでループを終わりにしようとしてもダメで、いよいよ本格的に抑うつ状態になる。そして....

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繰り返しを印象付けるために何度も目覚めのシーンが繰り返される。後半に来ると毎回朝からはじめないで、同じシーンの微妙に変わったバージョンがいくつも続く。見てると不思議な感覚になる。タイムループを描いているんだけど、それ以前にこれって映画の作られ方そのものじゃない?

俳優たちは同じカメラセッティングで同じセリフを同じ表情で繰り返し、ある部分だけちょっと変えてリテイクする。普通の映画撮影でやってることだ。デヴィッド・フィンチャーみたいに100回繰り返す現場だってある。繰り返しのシーンは付録映像によくある「未使用テイク」集に見えてくる。逆に同じテイクを使い回して、同じことが繰り返されていることも、あるいは同じような日々が続いていることも表現できる。

一発撮りのドキュメンタリックな作品でもない限り、ベストのテイクを求めて何度もやり直し、編集によって自由に時間を操作し、物語に仕立て上げる映画の制作は、どこかループする日常や多元宇宙に似ているのだ。だからけっこう相性がいいのかも知れない。

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主演のビル・マーレイの役はトム・ハンクスも候補に上がっていたそうだ。でも「ちょっと良い感じすぎる」からやめになった。分からないでもない。ビルの序盤の嫌な感じ、やる気のない感じはいい人化した後半よりぴったりくる。ヒロインはアンディ・マクダウェル。誠実そのものの雰囲気が主人公の成長のモチベーションになる役によく合う。

舞台になったのはPunxsutawney(パンクサトウニー)という読みにくい名前のペンシルバニア州の町。先住民の言葉が地名の元らしい。本作の原題『Groundhog day』というお祭りで有名だ。土着のマーモット(巨大なリス科動物)に春の訪れを占わせるのだ。

映画にもこのグラウンドホッグ(マーモット)は出てくる。リス科と行っても可愛いタイプじゃない。撮影中ビル・マーレイは手をひどく噛まれて病院行きになったという。ちなみにロケは別の街、イリノイ州ウッドストックという街で撮っている。映画は町おこし的なことになったらしく、映画にちなんだスポットが残っていたりするらしい。 

本作は最初に書いたみたいに、基本はタイムループというギミックのあるロマンティックコメディだ。 ただ見終わった感触で言うとディケンズの古典『クリスマス・キャロル』を思い出さずに入られない。キャロルでは3人の幽霊に連れられて過去・現在・未来を見尽くした主人公の代わりに、本作の主人公はある1日をサンプルに人生のあらゆる可能性を見て、ようやくいいひとになろうとする。多分同じこと感じる人多いだろう。

■写真は予告編からの引用

 

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ファンタスティックMr.FOX

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ストーリー:キツネのFOX夫妻は結婚前ニワトリ泥棒のパートナーだった。今では息子もでき、新聞記者を仕事にしている。でも地下の穴から樹上の家に引っ越したMr.FOXの野生の血が目覚め、泥棒稼業を再開してしまう。被害にあった3人、養鶏のビーン七面鳥のハギス、林檎酒作りのバンスは報復にMr.FOXを銃で狙い、巣穴をパワーショベルで掘り起こす。追い詰められたMr.FOXは反撃に出る....

ウェス・アンダーソン作品で見損ねていた1作。子供でも見られる作品としてストップモーションアニメで作られた。ウェス作品、そもそもアニメ的だ、と思う人は多いはずだ。監督のビジョンがすごくはっきりしていて、実写でも撮影はその再現みたいなイメージがある。カメラや人があまり動いていないグラフィックなシーンも多いし。

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ウェスは本作の前『ライフ・アクアティック』でストップモーションの監督『コララインとボタンの魔女』のヘンリー・セリックと仕事をしている。本作では脚本、声優の録音を先に済ませて、そこから絵コンテ、アニメーションチームで撮影という順序だったそうだ。ひょっとするとストップモーションはそういう手順が一般的なのかな。

さて本作は監督の子供の頃の愛読書らしい、ロアルド・ダールの絵本が原作だ。見てみると大筋は原作どおりだし、細かいチャプターに別れる構成も本と同じだ。ただ映画用に変えてある部分もあって、そこがいかにもウェスらしいのだ。

まず、主人公の動物たちだ。Mr.FOXやアライグマは、原作でも服を着て擬人化したキャラクター。映画ではさらに進めて、服は人間たちよりお洒落だし、無線で通信できるし、クレジットカードも持ってるし、子供たちは学校で化学の実験をしている。おまけにサイドカー(キツネサイズ)で激走だ。監督好みのガジェットや乗り物やファッション、インテリア....その手の要素が動物たちにも全面的にあたえられる。

それもあって、動物と人間の衝突も少しトーンが違う。原作では、言葉を話す知能の高い動物が体一つで人間に一泡吹かせる。人間は銃器や建設機械まで持ち出して過剰に反撃する。人間の環境破壊が動物を追い出す話で、ジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』に近い線だ。少し広げれば物質文明が進んでいない先住民と物質文明側のあつれきにも見える。

映画では、動物側も十分に物質文明の段階に達している。素朴な描写にしているもののちょっとした武器さえ使うのだ。上の例えで言えば資本家とハッカーの争いみたいだ。『借り暮らしのアリエッティ』的な体の小さい人たちの物語に近いとも言える。そんなわけで原作の少しエコっぽい空気は映画からはほぼ消え去っている。

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改変のもう一つ。これも実にウェスらしい。原作ではMr.FOXは泥棒稼業から引退していない。妻や子供達に「お父さん、今夜はチキンね!」といわれて「よしきた!」みたいにニワトリを盗みに行く。それがキツネの日常なのだ。映画版ではニワトリ泥棒はちょっと違う意味がある。子供ができて妻に「無茶はやめて」と言われ新聞記者になったMrは典型的な去勢された中年男で、それに抵抗するかのように「野生の血がオレを動かす、男でいるためには冒険が必要なんだ」とばかりに妻の目を盗んでわざわざ危険な泥棒に行くのだ。

ある程度の年になって何かを取り戻したくなり無茶する父(時には母)と振り回される子供達、というモチーフはウェス作品でおなじみだ。ただしMrはもともと頼れる父なのでいつもの振り回すだけのダメ父じゃなく、ウェス作品の中でも際立って格好いい。衣装にも凝りにこってスタイリッシュなスーツを着せ、声優ジョージ・クルーニーに渋くセクシーに喋らせる。

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アニメーションは毎秒12コマ(映画の半分)で動かし、スタジオライカみたいなCG的な滑らかな動きじゃなく、パペットアニメらしさをむしろ全面に出している。動物たちの動きも物理法則にしばられない漫画的なところが多い。キャラクターデザインは、テクスチャーや顔の構造は動物そのままで、FOX一家には人間的な微妙な表情を与えている。『犬が島』だと犬は言葉を喋る以外は犬としての表情、動きだけしていた。

この辺りの微妙なチューンの違いが面白いんだよね。本作は動物は動物でありつつ(人間社会とは別のところで暮らしている)、人間並みの文明を持っていて、なんなら言語のやり取りもする。けっこう微妙なラインなんだけど、ファンタジーとして不自然感がない。むしろドールハウス的な小さな生き物の暮らしが見ていて楽しい。『犬が島』は人間と犬の関係がメインだし、物語を進めるのは人間だから犬はより実際の犬に近いポジションにしてある。

原作つき、『イカとクジラ』のノア・バームバックが脚本を書いた本作はすごく分かりやすいカタルシスがあって絵的にもまとまっていて万人向けだ。音楽も実にいい。それと比べるとあらためてストーリーも世界観もセリフ使いも『犬が島』は冒険しているなあと思う。

■写真は予告編からの引用

 

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デッド・ドント・ダイ & ザ・ライダー

■デッド・ドント・ダイ

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ストーリー:大企業の開発の影響で地球の自転軸が歪み、昼夜が狂い始める。その影響は平和な田舎町にも押し寄せてきた。動物がとつぜん消えたり、死者が甦ったり。そう、ゾンビが大発生し始めたのだ。ゾンビは町の人々を喰い殺し、ゾンビに変えてしまう。たった3人で治安を守る署長(ビル・マーレイ)と警官2人(アダム・ドライバークロエ・セヴィニー)たちは....

2019年公開、ジム・ジャームッシュ監督作。『コーヒー&シガレッツ』はお気に入りだ。本作、最初に言ってしまうと、ゾンビコメディとはいっても、初見で心つかまれるエンタメじゃないし、ジャームッシュにとって、たぶん文句なしの傑作でもない。「あの監督の」「あの役者が」「あの作品を」とかコンテクスト込みで楽しむ1本だ。前作『パターソン』の方が知らない観客が出会っても入れる話だったと思う。

本作はゾンビものとしては、元祖ロメロ作品の基本設定はだいたい活かしている。日没に墓から動き出し、顔色が悪く、瞳は灰色で、動きがぎくしゃくして遅くあまり戦闘力が高くないタイプだ(例えば『アイアムアヒーロー』だとゾンビのボスはすごい運動能力だった)。

ゾンビの死人ルックも変な動きも今ではカルチャーアイコンなので、それ自体でちょっと笑えて、だからコメディとも相性がいい。本作はジャームッシュらしい抜けた感じのやりとりや「なんか変な人」的あり方、それにプラスしてダイレクトなロメロネタや、アダム・ドライバースターウォーズネタを絡ませたり、メタっぽいサービスも入れている。

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だけどなあ。トータルでは消化不良感はあった。物語や設定にけっこうな大外しを入れている割に、それが本筋と絡まずに投げ出されてしまうのだ。例えばティルダ・スウィントンを異人感たっぷりの葬儀屋兼剣の達人にして活躍させる。確かに絵にはなる。しかしそのオチはあまりに....。あと、妙なメタ描写がところどころで入る。要するに「今映画を撮っているオレたち」立場になるというね。これも生きているとはぜんぜん思えない。全編メタ構造の『カメラを止めるな!』の覚悟はない。

監督は、企業の強引な活動や物欲に取り憑かれて消費者と化した市民、そのせいで起こる環境破壊とかへの危機感が本作のメッセージにあるという。確かに、時には直接的すぎるくらいに語られる。死者になっても生前のモノへの執着をつぶやくシーンは笑える。でも鋭く刺さるようなものじゃない。だいたい小さな村で発生する大量のゾンビ、物質文明が急加速する現代より明らかに前の時代っぽいのも多いのだ(その衣装や体がなんで残ってるんだという違和感もある)。そんなこんなで、ちょっと迷作の香がしてしまったのが正直なところだった。

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もちろん魅力はある。ビル・マーレイは少々おじいちゃんすぎ(実は舘ひろしと同い年)ながら相変わらず滋味に溢れ、色んな監督が使いたがるのもよく分かる。アダム・ドライバーは少しズレた何を考えてるのか分からない青年役で、スターウォーズ的なシリアスなキャラクターよりぼくは好みだ。他の役者も含めて、ゾンビ襲来が本格化する前のオフビート部分の味わいはじゅうぶんある。家族がいっさい出てこずみんな浮遊しているような、田舎らしくない人間関係だ。

物語の舞台になる町も美しくて魅力的だ。物語上はペンシルバニア州あたりで、ロケはニューヨーク州でしている。町というより完全な田舎だ。物語の大事な舞台のダイナー(上)、モーテル(下)とも実在だ。ちなみに途中で町に遊びに来た若者3人をおじさんが「ありゃピッツバーグか?」「いやクリーブランドだな」というとこがある。ピッツバーグ拠点だったロメロのオマージュかも。

 ■写真は予告編からの引用

 


■ザ・ライダー

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ストーリー:中西部、サウスダコタ。若いロデオライダー、ブレディは落馬事故で頭蓋骨を骨折、競技ができなくなる。荒野の貧しい家に育ち、馬を手なづけ、馬に乗ることしかしてこなかったブレディは復活に向けて、調教の仕事から再開する。憧れの先輩レーンは事故の後遺症で体が麻痺したままだ。ブレディも手が上手く動かない。医師は競技を続けると深刻なダメージがあると告げる....

ノマドランド』でアカデミーを獲得したクロエ・ジャオの前の監督作品。監督の手法はこの時にもう確立されている。ストーリーはフィクションだけれど、実話ベースで限りなくドキュメンタリーに近く、しかも物語の役をモデルになった当人が演じる。本作ではプロの役者は基本的にいなくて、主演のブレディもファーストネームは本名だ。

何度も書いているように、アメリカ映画の近年のいわゆる良作枠は実話ベースが本当に多い。モデルがある程度知られていると、役者はカメレオン的に外見も似せてくる場合もある。クリスチャン・ベールなんかが代表格だ。だけど本作ではそれも捨て去って、演技は素人のはずの本人を使うのだ。クリント・イーストウッドが『15時17分、パリ行き』を同じやり方で撮っている。

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ノマドランド』では味のある周囲のノマドたちを実在のノマドが演じた。だいたいはその人の一面を見せればいいからできない話じゃない。エキストラの上級版だ。複雑な心境を表現する役は名優フランシス・マクドーマンドが担当している。でも本作は彼女と同じ、画面に出づっぱりの役をロデオライダーの本人が演じているのだ。

びっくりするのは、映画的になんの違和感もないことだ。ブレディが、ヒース・レジャーをちょっと思わせる画面映えするルックスだというのもある。本職の乗馬シーンや、暴れ馬を宥めて、心を開かせる調教のシーンなんかは本物だからこそ撮れる。麻痺した元ロデオスターの姿は完全にドキュメンタリーだ。でもそれ以外のドラマパートも全く危うさが見られない。自然に振る舞わせているといえばそうだけど、でも全て再現なんだよ。

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主演がプロの役者じゃないから仕事時間を外して撮ったら、朝や夕方のマジックアワーが多くなったという。ほんとに仕方なくかなー。いや実際、空の青と太陽光のグラデーションをバックにした馬とカウボーイのシルエットは美しい。

物語は、『レスラー』にも通じる、「自分が自分でいるための、男でいるための生き方が自分の命を削る」という苦悩。その分岐点がキャリア末期じゃなく、あまりにも早く来てしまう(ことがある)この競技の残酷さだ。とにかく、撮り方はすごく特殊な映画なんだけど、見ていると特殊さの引っ掛かりはいっさいなく、この風景とかれらの生き方がしみわたる。

■写真は予告編からの引用

 

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スカーフェイス

ストーリー:1980年、フロリダ。トニー・モンタナ(アル・パチーノ)はキューバからの移民船で入国する。母と妹はすでにアメリカで働いていた。難民キャンプに入れられた彼はすぐに永住権を手に入れる。それは警察との闇の取引だった。キューバアメリカに家族がいるキューバ人以外にも犯罪歴があるグループをまとめて送り込んでいたのだ。トニーもその1人。地元のドラッグディーラーの下で頭角をあらわしたトニーは....

1983年公開、監督はブライアン・デ・パルマ。『暗黒街の顔役(原題スカーフェイス)』をベースに、オリバー・ストーンの脚本で設定を変えたリブート作品だ。公開当時は興行成績も評価もそこそこだったらしいけれど(それなりにヒットしたし、いくつか賞も取った)、今ではギャング映画のクラシックだ。

 本作の元になった1932年の映画はマフィアのアル・カポネがモデルで、舞台は禁酒法時代だ。本作は1983年当時の現代版に置き換えた。イタリア系移民はキューバ系に、密造酒はコカインに、舞台はシカゴからマイアミになった。でも基本的なモチーフはそのままだ。トニー・カモンテはトニー・モンタナになり、ボスの女を狙うのも、妹思いも同じ。何より映画のライトモチーフになっている「The World is Yours」は旧作からそのまま引き継いでいる。

デ・パルマは本作の4年後にはカポネをモチーフにした『アンタッチャブル』を撮っている。主人公がカポネを追う行政側なのもあって、アルマーニがデザインしたスーツを思い切りスタイリッシュに着こなしている映画だ。

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で、ここからは最近知ったけれど、本作、アメリカのヒップホップコミュニティではなんていうか、1つの聖典みたいに何度も何度も参照されて、引用されて、オマージュされる重要な映画だった。具体例はちょっと検索すればいくつも出てくる。90年代からヒップホップが好きな人だったら何を今さらだろう。1つだけ上げておくとNasのThe World is Yoursは上でも書いた映画の重要なシンボルをそのまま使っている。

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言われてみれば、わりと最底辺からドラッグビジネスで金持ちになり、抗争でのしあがり、金ピカの豪邸にジャグジーバスをセットして、古い友達もみんないいスーツを着てのし歩く...的なある種のヒップホップのステレオタイプによく似てるみたいに見える。

でもそれだけじゃないだろう。例えば『ゴッドファーザー』はギャングものでありつつ、同時に貴族の世界だ。ドン・コルレオーネは(若い頃の貧しい姿は2で出てくるが)すでに優雅な大立者になっていて、その跡を継ぐ息子たちの群像劇になっている。時代設定もあって、スーツを着こなすスタイルも殺し方や脅かし方もスタイリッシュだ。

本作の主人公モンタナは特別な人間として描かれない。金も家柄もない移民だ。もちろん成り上がるだけの度胸も腕も機転もある。とはいえそこまで剛腕じゃないし特別切れる方でもない。おまけに服装はやぼったく、汗臭く、話し方も野蛮だし、リッチになってもスタイルを持っていないから悪趣味な金ピカ御殿を建てるしかない。ナンパ男の相棒と比べると女性へのアプローチも粗暴でぎごちなく、ボスの愛人にも見下される。

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しかも売り物のコカインにいつの間にかどっぷりハマり、そのせいかどんどん衝動的になって自己破壊的になっていく。徐々に観客もうんざりして破滅の予感が高まってくる。で、一方では妹を溺愛して守ったり、二枚舌を使わなかったり、妙な筋は通っていてどこかシンパシーは保たれる存在だ。日本で言えば、まさに実録物『仁義なき戦い』の主人公たちみたいだ。

憧れの存在である理想の任侠、高倉健と比べて、しがらみに振り回されて底辺でもがく菅原文太の方が観客は自分を重ねやすい、そんな近さがあるのかもしれない。アル・パチーノは『ゴッドファーザー』ではぼんぼんが冷酷なボスに成長していく姿を端正に演じていた。本作ではほとんど出ずっぱりでこの粗野で一本気な男を演じている。

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「The World is Yours」はトニーがたまたま見かける旅行会社の広告のコピーだ。「世界中どこでもお好きなように」くらいの意味だろう。でも成り上がっていくトニーには文字通り「オレたちが世界をゲットしてやるぜ」と見える。クライマックスはそんなトニーの作り上げた世界でのド派手な銃撃戦だ。トニーは銃弾で破壊されていく世界の中で、愛用のベレッタじゃなく、気持ちいいまでにグレネードランチャーとマシンガンを撃ち続ける。

ところで本作でトニーが一目惚れするのがボスの愛人エルヴィラ(ミシェル・ファイファー)、ここは旧作通り。ただエルヴィラの造形はすぐに10年後の名作を思い出した。そう、『パルプ・フィクション』だ。ウマ・サーマンのボスの愛人とすごく重なる気がする。当時気が付きもしなかったけれど、これもタランティーノのオマージュの1つだったのかもしれない。

■写真はBlue-ray版予告編からの引用

 

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若尾文子2本 女系家族 & 最高殊勲夫人 

女系家族

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ストーリー:昭和30年頃の大阪船場、老舗問屋の主人が死去した。大番頭が遺言状を読み上げる。遺産は3人の娘に分けられるのだ。矢島家は代々女系で主人も婿養子だった。当主を自認する長女(京マチ子)は配分に納得しない。もう一つ家族が知らない火種があった。元芸者の愛人(若尾文子)がいたのだ。「愛人にもくれぐれもよろしうに」という遺言、しかも彼女のお腹には子がいるらしく.....

大映、1963年公開。「白い巨塔」「沈まぬ太陽』などで知られる山崎豊子の小説が原作だ。彼女は船場の昆布問屋の生まれだから、この世界はお馴染みだ。小説発表が1963年、映画公開が同年。この時代はとにかく反応が早い。監督は三隅研次

日本の映画やドラマで三姉妹四姉妹ものは小さいながらも1ジャンルだ。『細雪』『阿修羅のごとく』みたいなクラシックから『海街diary』、アニメも色々思い浮ぶ。朝ドラだとこのパターン何度も出てくる。で、本作は姉妹ドラマの中では相当ふりきっている。ホームドラマというよりピカレスクロマンの香りさえするのだ。

物語は遺産争いゲームに集中していて、抒情的なシーンはほぼ皆無だ。姉妹が幼い頃を思い出してしんみりしたり、先に逝った母親を懐かしんだりとかは一切ない。そもそも母親自体、暖かく家族を包む存在じゃ全くなさそうなのだ。だから話はこの上なくドライである。

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キャラクターはみんなゲームのプレイヤーだ。離婚して実家に戻った負い目がありつつ、つねに声を張り上げる長女。まったく婉曲もなく要求をストレートに主張するので実にわかりやすい。婿養子をもらいビジネスを受け継ぐが当たりは弱い次女。「まだ子供ですし」スタンスを守りつつドライな三女。そしてベテランの殺し屋よろしく三女の相談役として戦闘に参加する叔母(浪花千栄子)。溝口作品『祇園囃子』の遣り手婆さん役に引けを取らないハードなキャラだ(あちらでも若尾文子に辛く当たっていた)。

愛人は、本家からはとうぜんうとまれ蔑まれる。若尾文子は得意の悪女じゃなく逆境に立ち向かう凛とした女性として描かれ、叔母がエクストリームなまでに強烈に当たるので、観客はもはや戸惑いながらも彼女に同情せざるを得ない。ちなみに文乃が住むのは住吉区神の木町。上町線の神の木駅も映る。土地勘がないけど東京でいえば曳舟あたりの感じなのかな?

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男性キャラクターの筆頭は大番頭だ。なんとも風采のあがらない初老の男だがいやに眼光が鋭いと思ったら上方歌舞伎の重鎮、中村鴈治郎なのだった。遺言執行人として、商売の実務を押さえる番頭として、暗躍する大番頭は物語のキーになる。初老の彼相手に妙に男女の香を漂わせる中年女も実にいい。

こんな感じで、明快なキャラクターを名優たちが存分に演じている。それを巨匠宮川一夫のカメラがスタイリッシュに写しとる。いまさら巨匠をほめてもしょうがないけれど、大勢が集まる場の空気をとらえる配置と構図、長めのパンの中で一つの物語を描き出すショット、伝統的な世界の中に現代の都市の景色をキラッと差し込んでくる絵...素晴らしすぎる。

本作の引き締まった雰囲気は、もちろん三隅監督の演出や編集が大きいだろう。でも撮影もそうとう貢献している。昭和中期の景色なんて時代劇以上に古臭く見えてもおかしくないけれど、それを感じない。古い大阪の大店や木賃アパートの建築美も、下町の風景の中に富豪の女たちが乗る巨大なアメ車が乗り込む感じもシンボリックだ。

そしてラスト。オチはもちろん伏せるが、納得度は高い。このゲーム、誰が勝ち抜いたのか? で、誰がシナリオを書いていたのか?的面白さはなかなかだ。

 


■最高殊勲夫人

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ストーリー:野々宮家の三姉妹、長女は三原商事の若社長(船越英二)と結婚、次女は社長の弟と結婚した。長女は三女(若尾文子)と三原家の三男(川口浩)の結婚をもくろむ。決められた結婚をしたくない2人はそれぞれ「好きな人がいるし」と言いながら、それでもおたがい気になるようす。姉のプッシュで三女が三原商事で勤めだすと、プロポーズしたい独身社員たちが押し寄せる…

大映、1959年の作品。当時の流行作家、源氏鶏太の小説の映画化だ。監督は増村保造。ジャンルでいえば、これも三姉妹モノ、かつオフィスラブコメだ。主人公だけじゃなく、ロンドみたいにあっちこっちで恋が芽生えている。たぶん1930〜50年代のハリウッドのスクリューボールコメディ的なものを目指したんだろう。男女が気の利いたセリフで応酬しながら、でも気持ちはだんだんと….という王道の展開だ。

丸の内の若い勤め人たちを見せる都市の風俗映画でもある。源氏はサラリーマン作家で、会社モノが得意なのだ。丸の内と新橋の会社の空気感の違いもきっちり描写してくる。TV局やちょっと気の利いたバー、ロカビリーのライブバーなんかも出てくる。『明日来る人』や『銀座二十四帖』と同じ、戦後の辛いとこは脱して女性も自由になったし、明るいとこ見せていこうぜ、というスタンスだ。

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女性は楽しげに働き、いい男がいればまっすぐアプローチする。ただ、女たち男たちが探している相手は恋人じゃない。結婚相手だ。好きになって告白するんじゃなく、いきなり結婚!なのだ。自由な男女を描いているようで、結婚という制度の呪縛はまだまだ相当強いぞ....と感じさせる物語でもある。ラブコメと書いたけれど、甘いシーンはよく考えるとほとんどない。まあ自由恋愛の結婚を礼賛してるんだろうね。かすかに占領政策の香りがしないでもない。

若尾文子はまっすぐな陰のないお嬢さん役。今でいうと広瀬すず的あり方だ。相手が川口浩。ぼく世代だと探検隊長イメージしかないが貴重な青年時の姿だ。姉の旦那が船越英二。『黒い十人の女』の浮気者役に通じる、整った顔なのに威厳がなくふらふらして、どこかこっけいな社長。庶民派で社長一家に馴染めないお父さんは宮口精二。『七人の侍』から5年後だ。

オープニングが当時のフランス映画みたいでものすごくオシャレだ。丸の内あたりのオフィスビルファサードを正面から撮り、建物のグリッドを画面デザインに使ってクレジットをグラフィカルに見せる。ちょっと惜しいのはときどき引きが取れなくて、水平垂直に撮りたいところが斜めに歪んでしまっている。

■写真は予告編からの引用